𠮷野智成さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:行政書士
1983年埼玉県行田市生まれ。駒沢大学法学部を卒業後、営業を中心とした業務に就き、税理士事務所、法律事務所、マーケティング会社などを転々とし、再度税理士事務所勤務を経て2019年12月に行政書士登録、2020年2月にBNI入会、4月に独立。
目覚ましい活躍はBNIから
行政書士として数々の事業所の融資手続きや補助金、支援金などの申請代行依頼が山のように訪れ、今では大手行政書士法人と連携し、補助金アドバイザーを手掛けている。この仕事に就きたいという若者にメルマガの配信や教育など、目覚ましい活躍を見せている𠮷野さん。BNI入会はパンデミック直前の2020年2月、行政書士としての独立が緊急事態宣言発令の2020年4月と、最悪のタイミングでの船出だったように見えるが、それは“逆転人生”への船出でもあった。
仕事はあまりしたくない人生
「仕事はほどほどに、土日の休みが欲しい」。だから公務員を選択したが不合格の連続。その後歩んでいったキャリアは多岐にわたる。ブラック・体育会系だったために退社、やる気がみなぎっている若い会社も性格的に向いておらず退社。転々とした人生はついにフリーターという立場にまで。仕事をと1年間で100社を受けても、30歳を超えた彼を誰も採用しようとはしなかった。年金事務所にかろうじてパートとして働き口を見つけたが、本当は正社員で働きたい。そこで求人誌を眺めていたところ見つけたのが税理士事務所。これまで歩んできたキャリアの知識を生かせると応募した。「今度の事務所はホワイトでした(笑)。70代の代表で、不器用だけど社員に温かく、上司として尊敬できる人でした」。
仕事をしていく中で知り合いの弁護士からこんな話を受けた。「インバウンド需要を見据えて、外国人のビザ申請代行を継続して発注したいという会社があるけど、その仕事を受けてみないか」。間違いなく需要を感じる。独立志向はあったからここがタイミングと、上司に相談し、4月に独立することを伝えた。それが2019年12月のこと。
明日BNIに来てみませんか?
「明日BNIに来てみませんか?」。知り合いの税理士から声を掛けられたのが翌2020年1月。五反田のカフェで話をしているときに声を掛けられたのだが、ミーティングは翌日、それも千葉市。そして入会したのは東京のチャプター。「正直半信半疑だったんです。士業界隈ではBNIは有名でした。合う人合わない人がいますし、メリットデメリットも理解していました」。
参加してみて一番驚いたことは、紹介でビジネスが本当に回っているということだった。紹介での営業はない、と信じ切っていたからこそ新鮮だった。「いい意味で人間味があって嘘がない。真剣にビジネスをしているのにアットホーム感がある。この環境で1年やってみて仕事ができないのなら独立も辞めよう、と思っていたんです」。その後“合宿”に誘われメンバーを深く知る機会を得る。「この時点でカテゴリー【台湾ビジネスサポート】の林佳慶さんなどプライべートでも腹を割って話せる仲間ができたことが大きかったです。メンバーとしてすぐに打ち解ける環境を作ってくれたことに感謝しています」。
初めて気づく自分の強み
ただ、独立は大嵐の船出だった。インバウンド需要の仕事はゼロ。どうしようもなく、メンバーの井上信次さん【カテゴリー:競争しないビジネスモデルの専門家】に相談した。「強みを生かした仕事に転換するのもいい」。この言葉に果たして自分は何が強みなのかを考えた。しかし、自分の強みを強みだとわからないことがある。自分の中で“当たり前のこと”は同じ業種の人もできているもの、と思ってしまうからだ。
彼が持つ周りの行政書士にはないスキルとは、「数字が読める」ことだった。以前働いていた税理士事務所で、上司とともに様々な会社の“数字”を見てきた。会社ごとにサポートするプロセスの楽しさを知っていた。社長と話し、数字の面で会社の経営支援をすることにやりがいを感じていた。仕事が嫌いな自分を好きにさせてくれた「数字を読む」ことは行政書士としての幅を拡げさせてくれた。
「本当に補助金や支援金、融資の話まで、情報が錯綜していた時期だったんです。だから『資金繰りの相談を受けます』というプレゼンテーションを行なったんです」。これまでのキャリアでも営業スキルを磨いてきただけに、話しも上手。許認可の相談から資金繰りの相談になることも多々あった。仕事を通じて付き合う人脈も変化していき、お金の知識と人脈のゲートキーパー的存在になっていった。彼の逆転人生がここから始まったのだ。
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