2021/08/31

𠮷野智成さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:行政書士

1983年埼玉県行田市生まれ。駒沢大学法学部を卒業後、営業を中心とした業務に就き、税理士事務所、法律事務所、マーケティング会社などを転々とし、再度税理士事務所勤務を経て2019年12月に行政書士登録、2020年2月にBNI入会、4月に独立。

目覚ましい活躍はBNIから

行政書士として数々の事業所の融資手続きや補助金、支援金などの申請代行依頼が山のように訪れ、今では大手行政書士法人と連携し、補助金アドバイザーを手掛けている。この仕事に就きたいという若者にメルマガの配信や教育など、目覚ましい活躍を見せている𠮷野さん。BNI入会はパンデミック直前の2020年2月、行政書士としての独立が緊急事態宣言発令の2020年4月と、最悪のタイミングでの船出だったように見えるが、それは“逆転人生”への船出でもあった。

仕事はあまりしたくない人生

「仕事はほどほどに、土日の休みが欲しい」。だから公務員を選択したが不合格の連続。その後歩んでいったキャリアは多岐にわたる。ブラック・体育会系だったために退社、やる気がみなぎっている若い会社も性格的に向いておらず退社。転々とした人生はついにフリーターという立場にまで。仕事をと1年間で100社を受けても、30歳を超えた彼を誰も採用しようとはしなかった。年金事務所にかろうじてパートとして働き口を見つけたが、本当は正社員で働きたい。そこで求人誌を眺めていたところ見つけたのが税理士事務所。これまで歩んできたキャリアの知識を生かせると応募した。「今度の事務所はホワイトでした(笑)。70代の代表で、不器用だけど社員に温かく、上司として尊敬できる人でした」。

仕事をしていく中で知り合いの弁護士からこんな話を受けた。「インバウンド需要を見据えて、外国人のビザ申請代行を継続して発注したいという会社があるけど、その仕事を受けてみないか」。間違いなく需要を感じる。独立志向はあったからここがタイミングと、上司に相談し、4月に独立することを伝えた。それが2019年12月のこと。

明日BNIに来てみませんか?

「明日BNIに来てみませんか?」。知り合いの税理士から声を掛けられたのが翌2020年1月。五反田のカフェで話をしているときに声を掛けられたのだが、ミーティングは翌日、それも千葉市。そして入会したのは東京のチャプター。「正直半信半疑だったんです。士業界隈ではBNIは有名でした。合う人合わない人がいますし、メリットデメリットも理解していました」。

参加してみて一番驚いたことは、紹介でビジネスが本当に回っているということだった。紹介での営業はない、と信じ切っていたからこそ新鮮だった。「いい意味で人間味があって嘘がない。真剣にビジネスをしているのにアットホーム感がある。この環境で1年やってみて仕事ができないのなら独立も辞めよう、と思っていたんです」。その後“合宿”に誘われメンバーを深く知る機会を得る。「この時点でカテゴリー【台湾ビジネスサポート】の林佳慶さんなどプライべートでも腹を割って話せる仲間ができたことが大きかったです。メンバーとしてすぐに打ち解ける環境を作ってくれたことに感謝しています」。

初めて気づく自分の強み

ただ、独立は大嵐の船出だった。インバウンド需要の仕事はゼロ。どうしようもなく、メンバーの井上信次さん【カテゴリー:競争しないビジネスモデルの専門家】に相談した。「強みを生かした仕事に転換するのもいい」。この言葉に果たして自分は何が強みなのかを考えた。しかし、自分の強みを強みだとわからないことがある。自分の中で“当たり前のこと”は同じ業種の人もできているもの、と思ってしまうからだ。

彼が持つ周りの行政書士にはないスキルとは、「数字が読める」ことだった。以前働いていた税理士事務所で、上司とともに様々な会社の“数字”を見てきた。会社ごとにサポートするプロセスの楽しさを知っていた。社長と話し、数字の面で会社の経営支援をすることにやりがいを感じていた。仕事が嫌いな自分を好きにさせてくれた「数字を読む」ことは行政書士としての幅を拡げさせてくれた。

「本当に補助金や支援金、融資の話まで、情報が錯綜していた時期だったんです。だから『資金繰りの相談を受けます』というプレゼンテーションを行なったんです」。これまでのキャリアでも営業スキルを磨いてきただけに、話しも上手。許認可の相談から資金繰りの相談になることも多々あった。仕事を通じて付き合う人脈も変化していき、お金の知識と人脈のゲートキーパー的存在になっていった。彼の逆転人生がここから始まったのだ。

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2021/08/24

病気、飢饉、貧困、敵意、絶望etc……、光と影があるように、明るい未来だけじゃない世界も横たわっています。かといってそちらに向かう必要もありません。私たちは選択をして、声を挙げ、世界を変化させることができるのです。そして起業家はそういうことができやすい立場にあるのです。

数年前、私はある言葉を自分の会社のコアバリューに組み込みました。「Givers Gain®(ギバーズゲイン)」というシンプルな2語のフレーズは、人と人がつながるための、これまでになかった枠組みを提示した点で、画期的な変化をもたらしました。与える、ということは、今の自分よりも成長でき、所属するコミュニティを通じて自分がより高みの存在になれることを認識するはずです。この理念を理解すると、今までとはまったく違う世界が見えてくるはずです。だから私たちは、まだ知らない人にこの理念を理解し、実践するお手伝いをしていくことが大事なのです。

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2021/08/19

北村 瞳さん
BNI GG
(東京港中央)
カテゴリー:鍼灸セラピスト

1980年東京都北区生まれ。高校を卒業後就職、すぐに鍼灸の世界に進み、2015年に独立『心と身体に赦しの鍼灸 allow』を立ち上げる。2017年にBNIに入会。

本当は教師になりたかった。しかし親の一言で働かざるを得ず、初めての職場は女性だけの店。しかし、“女性特有の関係性”に悩まされストレスはたまる一方。その時に彼女を救ってくれたのは、鍼灸院だった。「高校時代から部活で通ってはいたので全く知らない世界ではなかったんですが、自分の体調がみるみる良くなっていくのを実感すると、純粋に面白い、この世界に飛び込もうって思いました」。ちょうど受付事務を探していた鍼灸院があり、すぐに転職。仕事をしながら、研修を受け、1年後には鍼灸の専門学校に入った。基礎知識があるので飲み込みも早い。専門学校を卒業後、鍼灸師として働き始め、2015年には独立を果たす。

きっとこれは自分のこと、と入会したBNI

仕事も軌道に乗り始めた頃、何故だか急に「弁護士の友達が欲しい、って思ったんです」。親友の会社を手伝っていたこともあり、その会社が受けているセミナーに潜り込むことができた。その講師が弁護士だったのだ。「親友は『プロフィール写真のキャラが濃い』って言っていましたけど、その写真を堂々と使っているところに、私は面白さを感じていたんです」。その弁護士こそ、現在所属しているGGチャプターの米澤章吾さんだった。「BNIどう?」と聞かれて行かないはずがない。なぜなら彼女にとって良いタイミングだったからだ。「ちょうどお客様の波が変わった時期でしたし、ミーティングの日が8月8日だったんです。この日はスピリチュアルな世界では『ライオンズゲート』といって、宇宙のエネルギーが地球に降り注ぐ日、と呼ばれています」。もはやBNIには“呼ばれている”と感じ、入会を希望していた親友よりも早く入会を決めた。

ただ、他のメンバーに心配されることがあった。当時女性メンバーが彼女一人だけだったからだ。「男性の方が言いたいことは目の前で言い合う、さばさばした方が多いですし、裏表がない性格の私には、逆に居心地が良かったですよ」。

ビジネスシードの人脈拡大にも即反応

BNIはビジネスの成長が目的、と聞かされてきた。事実そうだが、そのプロセスをむしろ楽しんでいる。「会いたい人に会えるところが魅力的で、何かを始めたいときも、いろんな人と繋がっていることでスタートもしやすいんです」。会いたい人がいるということは、ビジネスシードがそこにあるということ。それが即座に行なわれるのがBNIだ。会いたい人を紹介してくれるシステムが確立しているから。

その結果、現在は鍼灸の仕事とは別に、ギフトカテゴリーのメンバーとともに、彼女が描く似顔絵をギフトにするという商品化も始まっている。「絵を描くのが昔から好きで、保育園の時は漫画家になろうと思っていました。メンバーと話をしてビジネスになりそうだと思った瞬間があったんです。今度は鍼灸をイラストにして紹介すればわかりやすいかな、って」。商品化を今度は販売・拡大するための人脈も、たった一言でつながり合える。「ギバーズゲイン」の精神がそこにあるから。

感謝が循環する。それがBNI

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2021/08/03

宮川大作さん
BNI 情熱
(大阪セントラル)

カテゴリー:生花店

1976年大阪府豊中市生まれ。花園大学文学部史学科を卒業後繊維商社に。その後上司とともに生花店を含む企業を設立。2011年にBNIに出会い「BNI情熱」の立ち上げに奔走、その後『株式会社 Bond』を設立。現在生花店4店舗、保育園9園を運営しているほか、保育園ビジネスのコンサルティングも手掛けている。

現場で覚えた、創業・開店のためのマーケティング

アパレルビジネスをキャリアのスタートとし、上司と共に退職し、生花店を開業する。11年の勤務で会社は20店舗を構え、従業員も110名、結婚式場11施設と契約、飲食店も5店舗運営するまでに成長していった。宮川さんは店舗マネジメント、コンセプト作り、店舗プロデュース、ターゲットマーケティングを担当しながらも経理、人事、営業までこなし、創業・開店までのノウハウ、マーケティングスキルはすべて現場で覚えていった。

BNIに出会ったのは独立直前。同じ日にビジター参加した保険業の人とBNI情熱を立ち上げ、ほぼ同時に独立を果たす。既にマーケティングのスキルは持っていたが、「こんなにいいシステムはないと思います。私も元々お客様に自分の人脈を紹介していましたし、自然と売上も上がっていきますし」。自ら立ち上げ、コンセプトをしっかりと持ってチャプターを運営するのもこれまで培ってきたこと。「BNI情熱では“Sharing Our Dream”と、みんなの夢をみんなで共有する、ということを決めごととしてきました」。それが全員に浸透しているから、全員が日々のビジネス活動の中でメンバーの夢につながりそうな人脈を紹介できている。

「BNIを活用して感じるのは、夢を叶えるスピードが早い、ということ。全国にメンバーがいるから新しい地域へのビジネス展開も早いです。それに異業種だから別の仕事の仕組みを知ることもできます。そうすると、自分のビジネスを内側で見るだけでなく外側から眺めることでもできて、改善策が見えやすいんです」。全員で共有することで夢を最短距離で叶えていく。ビジネスを通じて信頼できる仲間がいるのもBNIの強み。

安定した成長のためのマーケティング

今、生花店は大阪に2店舗。東京に1店舗、そして4店舗目に和歌山を選んだ。開店するにあたって、これまでの知見をフルに生かした。出店するにあたり、別事業も併せて出店する。そうすることで来店客にしてみればウェイティング時に目にするので自然と刷り込まれていくのだ。宮川さんの会社は売上の7割が企業向けとなっているが、小売店としての店舗にも力を入れる。そのために自身の本籍地である和歌山市、場所の選定にあたっても花屋がある地域を選んだ。「花屋があるということはそこにニーズがあるということ。和歌山の人は結婚式を和歌山で挙げます。そのときに選んでもらうためにも、大阪や東京に店舗を構えているというのはブランディングにもなります」。そのブランディングを完遂するために洗練された店舗にして、コンセプトをしっかり作り込んだ。開店までの仕掛けを作り込めば、開店と同時に仕掛けは終わり、人は集まる。マーケティングの妙、である。

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