英語が苦手でも、世界中のクリエイティブ人材とつながる方法

2021/11/30

井上朝美さん
BNI フェニックス
(東京新宿)
カテゴリー:建築

1973年大阪府吹田市生まれ。関西学院大学文学部哲学科を卒業後、OA機器販売会社に就職、トップセールスを誇る。2005年に『株式会社アーティスティック』を設立し、大手住宅メーカーの営業サポートを続け、全国の工務店向けのセミナーを手掛けることに。2019年にBNI東京新宿のフェニックスに参加。

 

参加国30か国以上総勢85人が集う「Global Architecture Team」。世界中のクリエイティブな人材が、世界中の建築物を創造する。日本にはない感性を日本で生み出すことも可能なこのグループをまとめ上げる井上朝美さんは当初、英語も堪能ではなかった。ただ一つ、BNIを活用したことで、英語力を上げ、それを実現可能にした。

哲学の道から人生をスタート

大学で学んだのは哲学科。建築の世界とは程遠い場所にいた。事実、建築の道に進む頭など微塵もなかった。一つ、近しいものを上げるとするならば、クリエイティブという言葉かもしれない。「哲学とは物事の本質を導き出す作業であり、何か形となるものを生み出すわけではないですが、広義的にそれはクリエイティブと言えるのではないでしょうか」。ここでの思考法はこの先の人生に大きく影響することになる。

 

卒業後、当時浸透し始めていたCADの販売会社に就職する。やっと建築の世界に近づいたが、建築のことなど素人同然。手法も飛び込み営業。まったく売れなかった。東京事務所に異動になってもまったく売れなかった。「何をしても売れないのなら何もしないでおこうとサボっていました。でもそれも飽きてしまって」。そこで考えた。同僚は売れている。つまり購入する相手はどこかにいるはず。本質はどこにあるのか。これまで営業先で聞いてきた共通のワードを拾い上げ、解決法をまとめてDMで送ったのだ。

 

専門の知識と叩き上げのスキル

効果は抜群で、送った先からことごとく問い合わせがあったのだ。相手が何を求めているのか、何が解決できるのか、とにかく聞いた。わからなければ現場に行き、断られても聞いた。「知らないから聞くんです。そうすれば逆に質問されることもあって、徐々に問題点があぶりだされたんです」。入社して3年目にしてトップセールスとなった。

 

既に一人で会社の利益を半分稼いでいたが、固定給で給料が上がらない。もはや独立も視野に入れていた頃に、導入先から「使えない」とのクレームが。「僕なら使いこなして売れる」。住宅の営業もしたことはなかったが、失うものはない。CADを駆使して売れたことから信頼、かつ自信を得て、CAD販売からCADを使った住宅営業サポートをする事業として独立。それからは12年で4000件というクロージング実績を挙げてきた。そうなると設計の仕方もわかり、セールスのフレーズとパターンも見え、いつしか全国の工務店向けに売れるデザインの講習会を開くまでになった。設計した家の展示場に来場者が750人詰めかけ、住宅セミナー講師としての地位を確立する。

アウフヘーベンが起きるBNI

BNIと出会うのは2019年のこと。かつて一緒に仕事をしていた人が昔以上に“できる営業マン”になっていたことに驚き、理由を聞いたところBNIに参加したことがきっかけだったという。「士業の方と連携すれば哲学的な“アウフヘーベン”(対極と対極が組み合わさり新しいものができること)が起きるんだと直感してすぐに入会しました」。

 

その年のグローバルコンベンションでポーランドに参加したことで、また人生が動き出す。出会ったパリの弁護士からビジター参加を勧められ、その後も数珠つなぎで各国からビジター参加を求められることになったのだ。英語も話せない中、それでも自分のことを話すようになっていくと、徐々にコミュニケーションが取れるようになっていった。そのとき彼らが口にしていたのが「日本で設計をしてみたい」という夢だった。彼らの夢を、もし叶えることができたなら。

 

「フランス人からフランスでたい焼き屋を作ってほしいとオファーをもらったことがきっかけでした。フランスでフランス人に勝てるのは日本人の文化なのだ、と」。日本はこれまで世界中において衣食住の分野で他国文化を取り入れてイノベーションを起こしてきた歴史がある。ただ、住だけは未踏の地。「日本でイノベーションを起こさないか?」。その思いに世界が賛同した。毎月“世界会議”を行ない、コミュニケーションを取ることで英語も理解でき、話せるようになっていった。

根底を流れる本質を見抜く思考

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