2021/11/30

井上朝美さん
BNI フェニックス
(東京新宿)
カテゴリー:建築

1973年大阪府吹田市生まれ。関西学院大学文学部哲学科を卒業後、OA機器販売会社に就職、トップセールスを誇る。2005年に『株式会社アーティスティック』を設立し、大手住宅メーカーの営業サポートを続け、全国の工務店向けのセミナーを手掛けることに。2019年にBNI東京新宿のフェニックスに参加。

 

参加国30か国以上総勢85人が集う「Global Architecture Team」。世界中のクリエイティブな人材が、世界中の建築物を創造する。日本にはない感性を日本で生み出すことも可能なこのグループをまとめ上げる井上朝美さんは当初、英語も堪能ではなかった。ただ一つ、BNIを活用したことで、英語力を上げ、それを実現可能にした。

哲学の道から人生をスタート

大学で学んだのは哲学科。建築の世界とは程遠い場所にいた。事実、建築の道に進む頭など微塵もなかった。一つ、近しいものを上げるとするならば、クリエイティブという言葉かもしれない。「哲学とは物事の本質を導き出す作業であり、何か形となるものを生み出すわけではないですが、広義的にそれはクリエイティブと言えるのではないでしょうか」。ここでの思考法はこの先の人生に大きく影響することになる。

 

卒業後、当時浸透し始めていたCADの販売会社に就職する。やっと建築の世界に近づいたが、建築のことなど素人同然。手法も飛び込み営業。まったく売れなかった。東京事務所に異動になってもまったく売れなかった。「何をしても売れないのなら何もしないでおこうとサボっていました。でもそれも飽きてしまって」。そこで考えた。同僚は売れている。つまり購入する相手はどこかにいるはず。本質はどこにあるのか。これまで営業先で聞いてきた共通のワードを拾い上げ、解決法をまとめてDMで送ったのだ。

 

専門の知識と叩き上げのスキル

効果は抜群で、送った先からことごとく問い合わせがあったのだ。相手が何を求めているのか、何が解決できるのか、とにかく聞いた。わからなければ現場に行き、断られても聞いた。「知らないから聞くんです。そうすれば逆に質問されることもあって、徐々に問題点があぶりだされたんです」。入社して3年目にしてトップセールスとなった。

 

既に一人で会社の利益を半分稼いでいたが、固定給で給料が上がらない。もはや独立も視野に入れていた頃に、導入先から「使えない」とのクレームが。「僕なら使いこなして売れる」。住宅の営業もしたことはなかったが、失うものはない。CADを駆使して売れたことから信頼、かつ自信を得て、CAD販売からCADを使った住宅営業サポートをする事業として独立。それからは12年で4000件というクロージング実績を挙げてきた。そうなると設計の仕方もわかり、セールスのフレーズとパターンも見え、いつしか全国の工務店向けに売れるデザインの講習会を開くまでになった。設計した家の展示場に来場者が750人詰めかけ、住宅セミナー講師としての地位を確立する。

アウフヘーベンが起きるBNI

BNIと出会うのは2019年のこと。かつて一緒に仕事をしていた人が昔以上に“できる営業マン”になっていたことに驚き、理由を聞いたところBNIに参加したことがきっかけだったという。「士業の方と連携すれば哲学的な“アウフヘーベン”(対極と対極が組み合わさり新しいものができること)が起きるんだと直感してすぐに入会しました」。

 

その年のグローバルコンベンションでポーランドに参加したことで、また人生が動き出す。出会ったパリの弁護士からビジター参加を勧められ、その後も数珠つなぎで各国からビジター参加を求められることになったのだ。英語も話せない中、それでも自分のことを話すようになっていくと、徐々にコミュニケーションが取れるようになっていった。そのとき彼らが口にしていたのが「日本で設計をしてみたい」という夢だった。彼らの夢を、もし叶えることができたなら。

 

「フランス人からフランスでたい焼き屋を作ってほしいとオファーをもらったことがきっかけでした。フランスでフランス人に勝てるのは日本人の文化なのだ、と」。日本はこれまで世界中において衣食住の分野で他国文化を取り入れてイノベーションを起こしてきた歴史がある。ただ、住だけは未踏の地。「日本でイノベーションを起こさないか?」。その思いに世界が賛同した。毎月“世界会議”を行ない、コミュニケーションを取ることで英語も理解でき、話せるようになっていった。

根底を流れる本質を見抜く思考

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2021/11/25

BNIは沖縄には必要なマーケティングシステム

日本初とも言えるチャプターが9月9日、沖縄県に誕生した。発足時点でメンバー全員が女性というオンラインチャプター「BNI AMAMIKU(アマミク)」だ。(※男性も参加可能)
ディレクターの及川始乃(もとの)さんは、沖縄リージョンが立ち上がったときから関わり、2021年11月現在も「BNI THANKS」に所属している。

 

税理士としてこれまで女性起業家の財務のサポートはしていたが、マーケティングや人脈構築まではサポートできていないことにもどかしさを感じていた。そのときエグゼクティブディレクターの座間味さんからBNIの立ち上げの話を聞いた。

「今活動していることを広く届けられる、何よりも同じ方向を向く仲間ができると感じました」。

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2021/11/16

今回はラーニングエッジ株式会社代表取締役 清水康一朗氏をお迎えし、BNIジャパンの大野真徳ナショナルディレクターとオンライン対談を行いました。

 

大:今回は「フォロワーが少なくてもSNSで成功するやり方」ということですが、多くの方にとって興味深いテーマだと思います。まずはこのタイトルの説明をお願いします。

 

清:現代社会では、今までのようなマーケティングのやり方や営業活動では上手くいかないのを感じているのではないでしょうか。これからの時代、ソーシャルネットワークによるデータ通信、情報発信によってビジネスの価値が変わっていき、SNSなしでは語れなくなってきます。といっても、これまでSNSをやったことのない人や上手くいっていない人には生きづらい時代というか。仕組みを持てる人には活用できるけど、どこから手を付けていいかわからない話もあるでしょう。そのあたりのことをお話しできればと思っています。

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2021/11/11

オンラインだから可能になった離島でのBNI活動

BNIではオンラインチャプターが次々に立ち上がっている。オンラインチャプターのメリットを挙げるなら、居住地域に関係なく集うことができるということ。2021年5月に立ち上がった「BNIトラベルオンライン(北九州東)」はまさにそれを体現しているといっても過言ではない。メンバーは離島に在住しながらBNI活動を行なっているのだ。

対馬在住が、築城(ついき)順一郎さん(ビジネスカテゴリー:日本一の対馬穴子)、中村公徳さん(ビジネスカテゴリー:対馬レンタカー)、中村和範さん(ビジネスカテゴリー:対馬で焼肉)。壱岐島在住が、住吉節子さん(ビジネスカテゴリー:国産バナナ栽培)。彼らをメンバーに誘い続けていたのは“離島への誘客が生きがい”と、30年以上離島観光を誘客してきた戸田慎一さん(ビジネスカテゴリー:集客アドバイザー)だ。

「彼らとお酒を酌み交わしていながら、ずっとBNIはビジネスチャンスだと思っていたんです。そのときにオンライン化になって築城さんから『やる』と言ってくれて」。

実は対馬は新型コロナ以前から深刻な問題を抱えていた。対馬の目と鼻の先は韓国。韓国からの観光客が毎年のように押し寄せていた。築城さんの店には開店前から50名が並び、中村和範さんの飲食店は365日営業で一日最大350食の昼食を提供していたほど。しかし、2019年の日韓関係悪化により、一気にゼロになってしまったのだ。そのとき日本人観光客を誘客してくれたのが戸田さんだった。そして昨年からの新型コロナとBNIオンライン化。チャプター名が「トラベルオンライン」と銘打つように、福岡を基点に離島観光も含めた“おもてなし”のできるチャプターであるならば、入会しない理由はなかった。

「戸田さんは通販会社も作ってくれて、大変なときに助けてくれたのがBNIでしたから(築城さん)」。

幼馴染ともいえる中村さん兄弟も入会し、離島観光の流れは生まれた。「メンバーにとって1to1が旅行のような感覚になっているんですよ(戸田さん)」。

住吉さんは華やかな世界に憧れ、田舎は嫌だと福岡に出ていった。しかし新聞販売店を営むご主人が「農業をやりたい」という声が上がったとき、一番に考えたのは壱岐島だったという。

「島に産業がないから就職先もない。だから島を離れていってしまうので、それを食い止めたいと、地域再生も含めてスタートしました。ゆくゆくはIターンで訪れる人たちを増やしていきたい思いもあります」。

皮ごと食べられる完全無農薬のバナナは1本1000円という超高級品。だからこそ都会で販売経路を作っていく上でBNI入会は理に適っていた。

あまりハードルと思わないリファーラル

メンバーになるにあたり、必ず躊躇するのが「リファーラルを出せるかどうか」。意外と4人ともその点に関してハードルを感じなかったという。福岡まで船や飛行機で30分~1時間の距離。心理的距離間は感じていない。

 

「例えば旅行会社を使って旅行してくれればリファーラルにもなります(築城さん)」

「対馬に関連する方が福岡に40万人いるとされていますし、そのネットワークを活用しています。でも紹介するにあたってまずは自分で体験することからとしています(中村公徳さん)」。

 

BNIは島外の信頼できる人たちとつながることができる。それが離島の人にとっての最大のベネフィット。

「島にいると経済は島の中だけで回ってしまいがちで、そうなると知識も入ってこないし、視野が狭くなるんです。BNIのシステムを理解していくと、ここは勉強の場であり、新しいことをしたくなる気持ちにさせてくれます(中村公徳さん)」

「Givers Gain®という言葉にはっとして、心惹かれたんです。相手を知ろうと思えば1to1でつながれますし、つながれば仕事が活性化しますし、どの団体よりも仕事に直結して楽しいと感じます(住吉さん)」。

 

海も空も食も素晴らしい壱岐と対馬。それが当たり前だと思っている島内の人にとって、メンバーのそれらを称賛する声はストレートに聞けて、旅行者の言葉より重みがある。

「今はファン作りの段階だと思っています。そうして島の人たちと出会い、その先に“会いに行く旅”になっていってほしいと思っています。離島の旅はストレスケアになりますから(戸田さん)」。

島を知ってもらう、人を知ってもらう、産業を知ってもらう。その先にあるのは、離島であってもビジネスは成長するという未来だ。

地域経済の時計を巻き戻せる仕組み

日本の人口は減少傾向にあり、一極集中と過疎の極端な地域格差も問題視されている。その世界を変えることができるのもBNIかもしれない。

「地域がまちおこしの事業を行なっても、そこには地域ならではの上下関係や人間関係の問題があって上手くいかない事例も多くあります。しかしそこにBNIの仕組みを導入して、世界共通のマーケティングの仕組みを実践すれば、経済は間違いなく回り、どの街でもビジネスが成り立ち、過疎化も無くなっていくのでは、と考えます。ある意味BNIは地域経済の時間を巻き戻せる唯一の仕組みなのではないでしょうか(BNI北九州東 エグゼクティブディレクター 狩野博司さん)」。

2021/10/26

社員の健康に配慮することは、人事管理の課題だけでなく、経営課題であるという考えが近年常識となっています。

社員の健康管理を経営的な視点で考えることが「健康経営」であり、戦略的に社員の健康増進・生産性向上につながる施策を実践することで、組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や企業価値向上につながると期待されます。

今回は株式会社日本健康経営 代表取締役 松本大成さんと、BNIジャパンの大野真徳ナショナルディレクターとのオンライン対談を行い、「ウェルビーイング(well-being)」についてお話ししました。

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2021/10/20

BNIはビジネスにつながる人脈を紹介しあうリファーラルマーケティングの組織だが、社会的役割を果たすためにBNI財団ジャパン™も存在している。主な活動として、中学生・高校生に向けて、仕事をするということやビジネス社会での自分のありかたなどを伝えるプロジェクト「Catch Your Dream」、SDGs活動支援、助成金事業などを手掛けている。その中でも財団を設立したアイヴァン&ベス・マイズナー夫妻が一番実施したかったとされているのが「Business Voice」(以下BV)プロジェクトだ。

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2021/10/14

「ビジネスに直観を取り入れる余地はありますか?」。

この問いに私はこう答えます「ええ、もちろん」と。 数十年前の私はそう思っていなかったのですが、数年前から私は考えを改め、直観はビジネスツールの1つになり得ると信じています。

直観の定義は、「理性に頼らず、真実や事実を直接認識すること、即座に理解すること、または何かを鋭く素早く洞察すること」です。

数年前に読んだSFの本に、社会の中で本能的に物事を理解していると思われる「直観者」の話が出てきました。 本能的に物事を理解しているように見える人たちのことです。

このSF中で、直観は当初は驚異的な能力だと考えられていましたが、実際には自分の専門知識に基づいて素早く事実を収集し、データを分析し、可能性を予見する技術を身につけていただけだということが判明します。

確かにその本の内容はSFでしたが、私の心に強く響く言葉がありました。この本の内容は、結果的に上記の直観の定義とは全く相反するものです。つまり、“直観者”とは本能的に問題を理解するのではなく、特定の分野で何年も積んだ経験をもとに、素早く推論を行なう人、ということでした。 現実の世界では、コンピュータを使った予測分析がこれにあたるでしょう。

このように直観について考え直してみると、私は自分の分野で経験を積むにつれ、問題を素早く判断し、進むべき方向を「勘」で判断することが得意になっていることに気づきました。 私が「直観」だと思っていたものは、部分的ではありますが、自分が蓄積してきた知識に基づいて状況を素早く判断していたのです。

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2021/10/05

2021年8月24日、あの震災から10年が経った今年、東北初のBNIがスタートした。商売繁盛をもたらすとされている、実在した“福の神”にあやかって誕生したオンラインチャプターBNI仙臺四郎オンライン(仙台)。この立ち上げに携わったのは、金シャチBNIのメンバーでもある池田浩二さん。BNI名古屋北のディレクターであり、この立ち上げに際して仙台を訪れたことは一度もない。

チャプターの立ち上げ(ローンチ)ほど難しいものはない。そう言われているが、池田さん自身が2009年に東京以外での初めてとなる「金シャチBNI」立ち上げメンバーの一人であり、これまで数多くのチャプター立ち上げを間近で見てきた。

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2021/09/28

北陸新幹線開業で沸いた石川県金沢市。隣の福井県、そして石川県小松市では既に運営されていたが、ついに金沢市でもBNIがスタートした。“加賀百万石”とも言われてきた前田家の加賀藩。この言葉にちなんで名付けられたオンラインチャプターBNI Milioneオンライン(金沢)。2021年9月3日に発足イベントを迎え、当日は42名でスタートするが、9月28日現在すでに50名を突破。そのくらい勢いが生まれている。

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2021/09/21

近藤 正典さん
BNI コンダクト
(名古屋南)
カテゴリー:飲食店

1973年愛知県春日井市生まれ。2014年に前オーナーから店を買い取り独立。同時にBNIコンダクトに入会。2017年にディレクターコンサルタントに。カテゴリーは【肝料理専門店】

4月21日に長野県松本市にてBNI雷鳥、8月28日に長野市にてBNI竜胆がスタートした。両市のチャプターローンチ(グループの発足)を手掛けたのは、いくつものチャプターローンチに携わってきた、BNIコンダクトのメンバーである近藤正典さんだ。「今回立ち上がったのは、未開拓地域でのチャプターローンチプロジェクトととして仙台・長野・金沢・広島で同時に活動していたからだと思います。他の素晴らしいディレクターと刺激し合い、全国から手伝ってくれるメンバーがいたおかげです」。

ローンチ(発足)を手掛けるのは自身の経験から

近藤さんがディレクターを始めた頃、周囲では3年半も新しいチャプターが立ち上がっていなかった。ことごとく失敗し、気後れしている空気が漂っていたのだ。だからローンチをするためにディレクターになった近藤さんに、周囲は猛反対をする。「むしろ、そういう声が反動になって俄然やる気が出ていたんです」。最初のローンチはたった3ヵ月。以降、ほぼ失敗せずにローンチを手掛け続けている。「ディレクターは新しい出会いしかないんです。それにいろんな社長さんと出会える機会しかありません。これはメンバーだけでは味わえない醍醐味ですよ。それにチームビルディングを学ぶから、それが会社にも生きているんです」。

そこまでローンチにこだわったのは「BNIは飲食店の方に広めたいと思っているからなんです」。独立して居酒屋を始めたと同時にBNIに入会した。「本当に超貧乏だったんです。アパートも車も古く、人脈もない。でも、BNIに出席するなら見栄を張らないとって」。BNIを始めたからには、居酒屋を成長させなければいけない。店が終わって徹夜明けにチャプターミーティングに参加し、その日の昼も夜も働くという生活が続いた。入会半年後にはプレジデントに選ばれた際「時間に投資をしようと、誰よりも早く来て、誰よりも遅く会場を出ることを心掛け、1to1を連続してやっていたんです」。2期連続でプレジデントに選ばれ、招待したビジターは137人。その行動がリファーラルに結び付いていった。それを実感していたからだ。

ただ、無理がたたった。腸閉塞で緊急搬送。3週間の入院を余儀なくされる。「現場を抜けるのが本当に怖かったんです」。実は、この3週間が近藤さんを変えたといっても過言ではない。入院の間、社員たちが頑張って店を盛り上げていたのだ。「お客様から『近藤さんがいなくても大丈夫』と言われて。自分で現場に立ちすぎて、社員の伸びしろを摘んでいたんだ、って」。自分には次のステージがある、会社もBNIも。それに気付かせてくれたのだ。今では6店舗のマネジメントが主な仕事。新規開業も社員が率先して行なっているという。BNIも別の人に委任して裏方に回り、もう一つ上のステージ、ディレクターへの道がスタートしたのだ。そしてローンチの“プロフェッショナル”になった。

チャレンジの先に訪れるものとは?

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2021/09/14

BNI J-ONE
(多摩東)

中野 竜爾さん
1964年東京都武蔵野市生まれ。中野会計事務所代表税理士
カテゴリーは【税理士】から【税理士(法人税・相続税)】へ

宮崎 圭史さん
1967年東京都板橋区生まれ。シャインリンケージ株式会社。
カテゴリーは【生命保険】から【生命保険(資産運用)】へ

篠原 一廣さん
1974年埼玉県蓮田市生まれ。篠原総合法律事務所代表弁護士
カテゴリーは【弁護士】から【法人交通事故専門弁護士】へ

 

2006年、BNIが日本で初めて誕生した。そのときに生まれたBNI J-ONEは、16年経った今も会員数40名以上で活動している。立ち上げたときから今もメンバーでいる中野竜爾さん、宮崎圭史さん、篠原一廣さんにこの16年間の推移とBNIの真髄を聞いた。

人のつながりこそがBNIを大きくする

篠原「別の団体が開催する朝会で大野さんと出会ったんです。『私もこれから新しい朝会を立ち上げるんです』と聞き、参加してみようとは思いました。結構駆け出しの士業の人はこういう会には積極的ですよ。ただ、高額セミナーの一種じゃないだろうな、なんて警戒心はありましたけど(笑)」。

中野「忘れもしません。3月13日に電話があったんです。この時期は確定申告で繁忙期なんですが、この年だけ早く終わったんです。だからいつもは出ない電話に出ることになって。ピンポイントで電話をいただいていて、知り合いの士業の人もいたし、最初は“騙されるなら一緒に”という感じで思ってました(笑)」。

宮崎「既に入会を済ませていた士業の知り合いが勧めてくれたんです。それならばいいのかも、という思いはありました。最初は木曜日でスタートしたのですが、別の朝会が木曜日だったために金曜日に変えてほしい、ということで金曜日になったんです」。

三者三様ではあるが、一つ共通するのは“知っている人が勧めてくれた”ということ。

リーダーシップの一つの解がある

20人でスタートしたJ-ONEはしばらくメンバー数としては小康状態が続く。「少ないからこそ結束力はむしろ強くなっていたと思います(篠原さん)」。そこにターニングポイントが訪れる。渡辺直行さん(現:BNI横浜セントラル・エグゼクティブディレクター)のプレジデント就任だ。「とにかくBNIラブな人で、スーツからシャツ、パンツに至るまで、さらに車もバイクも全部BNIカラーで統一するくらいの人だったんです(中野さん)」。目標達成へのコミットメントがしっかりとしていて、メンバーを鼓舞し、ビジター数、メンバー数は50名へと増加していった。「かといって、強制はしないんです。自分でビジターも招待して、一所懸命取り組んでいたんです。その姿、その熱量に周りが応援しようという空気が生まれたんです(宮崎さん)」。渡辺さんは他人を鼓舞しながら自分も実践する。時には道化を演じ、真面目過ぎず、それでも達成への努力は怠らない。リーダーシップの一つの解がここにある。

何よりもBNI J-ONEのディレクターが、大野真徳ナショナルディレクターだったのだ。日本で一番BNIを知っている人が伝えるからこそ、理解度は高い。「最初からメンバーも運営面もレベルは高かったと思います(宮崎さん)」。全員がBNIに対して腑に落ちると、あとは習慣化していくだけ。「3年目からはBNI自体が日常と化して、夜型だった自分がBNIスタイルに合わせた生活になっていました(篠原さん)」。

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2021/09/07

林佳慶さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:台湾ビジネスサポート

1988年東京都文京区生まれ。中学は台湾で、高校・大学はアメリカで学び、父をはじめとした友人が出資している外国人向けの不動産会社に就職。2018年に代表取締役に、翌年に社名を変更して『株式会社KAKEI』とする。BNIは2018年に入会。

台湾パイナップルをメンバーが救った

今ではスーパーでよく見かけるようになった台湾産パイナップル。この「台湾パイナップル」の日本への輸入に、BNIメンバーのグローバルネットワークが一役買っていることはあまり知られていない。

中国当局が2021年3月1日からの台湾パイナップルの輸入禁止を通達したのは実施の3日前だった。中台対立を背景とした中国政府による経済制裁の一種と考えられている。台湾パイナップルの輸出先の97%が中国であっただけに、生産農家は窮地に陥り、諸外国で支援の動きが始まった。

BNI S1の林佳さんは、台湾の生産農家のBNIメンバーが窮状に陥っていることを知り、このニュースをいち早く日本国内のBNIメンバーに伝えた。すると、そのうちの一人から「大阪の貿易業者を知っているから繋いでみる」との声が。そして、禁輸措置発表後初めて、台湾パイナップルの日本への輸入が実現した。行き場を失っていた2コンテナ分の台湾パイナップルが大阪の港に到着し、継続的に輸入することも決まった。

このストーリーはグローバルビジネスの成功例としての話ではない。BNIが実践している“ネットワーキング(人脈構築)”の賜物が仲間を救った、という話だ。単純に同じBNIメンバーだから、ではなく、これまで互いの国のメンバーが人脈の紹介をしようと動いているのを知っていたから、この困ったときに「何か手伝えることはないですか?」と、日本国内のメンバーが動いたのだ。台湾のパイナップル業者のメンバーのために台湾の人たちが動いたのは、そのメンバーが台湾の中でも高い貢献をしていたからだ。そして両国を繋いだのは、日本と台湾の間にルーツを持つ林さんの動きがあったからだ。

自分の可能性を閉じない13歳の決意

両親は台湾人。東京で生まれても、台湾人というアイデンティティは強く持っていた。だから中学生になったら台湾に渡ると決めていた。「といっても、躾の厳しい両親から離れたい、という思いも強かったんですが」。学校では日本語、家庭では台湾語、だから言葉の壁はない、はずだった。

しかし、台湾の中学校で使っていたのは北京語だったのだ。同じようにみえてもまったく違う。大いなる誤算。授業についていけない。日本での成績が良かった自分はもはやいない。かといって来てしまった以上、簡単に帰るわけにはいかない。「厳しかったんですが、離れてみて親の愛情がわかりました」。ただ、この13歳のときの境遇が人格を、そしてこの後の人生を決めていった。自分の可能性を決めつけない、卑下しない、ということだ。「別の人から見たら輝いているところがあるんです。だから自分の可能性を自分でブロックしない、そう決めて生きてきました」。

自分の強みを、可能性を知ること

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2021/08/31

𠮷野智成さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:行政書士

1983年埼玉県行田市生まれ。駒沢大学法学部を卒業後、営業を中心とした業務に就き、税理士事務所、法律事務所、マーケティング会社などを転々とし、再度税理士事務所勤務を経て2019年12月に行政書士登録、2020年2月にBNI入会、4月に独立。

目覚ましい活躍はBNIから

行政書士として数々の事業所の融資手続きや補助金、支援金などの申請代行依頼が山のように訪れ、今では大手行政書士法人と連携し、補助金アドバイザーを手掛けている。この仕事に就きたいという若者にメルマガの配信や教育など、目覚ましい活躍を見せている𠮷野さん。BNI入会はパンデミック直前の2020年2月、行政書士としての独立が緊急事態宣言発令の2020年4月と、最悪のタイミングでの船出だったように見えるが、それは“逆転人生”への船出でもあった。

仕事はあまりしたくない人生

「仕事はほどほどに、土日の休みが欲しい」。だから公務員を選択したが不合格の連続。その後歩んでいったキャリアは多岐にわたる。ブラック・体育会系だったために退社、やる気がみなぎっている若い会社も性格的に向いておらず退社。転々とした人生はついにフリーターという立場にまで。仕事をと1年間で100社を受けても、30歳を超えた彼を誰も採用しようとはしなかった。年金事務所にかろうじてパートとして働き口を見つけたが、本当は正社員で働きたい。そこで求人誌を眺めていたところ見つけたのが税理士事務所。これまで歩んできたキャリアの知識を生かせると応募した。「今度の事務所はホワイトでした(笑)。70代の代表で、不器用だけど社員に温かく、上司として尊敬できる人でした」。

仕事をしていく中で知り合いの弁護士からこんな話を受けた。「インバウンド需要を見据えて、外国人のビザ申請代行を継続して発注したいという会社があるけど、その仕事を受けてみないか」。間違いなく需要を感じる。独立志向はあったからここがタイミングと、上司に相談し、4月に独立することを伝えた。それが2019年12月のこと。

明日BNIに来てみませんか?

「明日BNIに来てみませんか?」。知り合いの税理士から声を掛けられたのが翌2020年1月。五反田のカフェで話をしているときに声を掛けられたのだが、ミーティングは翌日、それも千葉市。そして入会したのは東京のチャプター。「正直半信半疑だったんです。士業界隈ではBNIは有名でした。合う人合わない人がいますし、メリットデメリットも理解していました」。

参加してみて一番驚いたことは、紹介でビジネスが本当に回っているということだった。紹介での営業はない、と信じ切っていたからこそ新鮮だった。「いい意味で人間味があって嘘がない。真剣にビジネスをしているのにアットホーム感がある。この環境で1年やってみて仕事ができないのなら独立も辞めよう、と思っていたんです」。その後“合宿”に誘われメンバーを深く知る機会を得る。「この時点でカテゴリー【台湾ビジネスサポート】の林佳慶さんなどプライべートでも腹を割って話せる仲間ができたことが大きかったです。メンバーとしてすぐに打ち解ける環境を作ってくれたことに感謝しています」。

初めて気づく自分の強み

ただ、独立は大嵐の船出だった。インバウンド需要の仕事はゼロ。どうしようもなく、メンバーの井上信次さん【カテゴリー:競争しないビジネスモデルの専門家】に相談した。「強みを生かした仕事に転換するのもいい」。この言葉に果たして自分は何が強みなのかを考えた。しかし、自分の強みを強みだとわからないことがある。自分の中で“当たり前のこと”は同じ業種の人もできているもの、と思ってしまうからだ。

彼が持つ周りの行政書士にはないスキルとは、「数字が読める」ことだった。以前働いていた税理士事務所で、上司とともに様々な会社の“数字”を見てきた。会社ごとにサポートするプロセスの楽しさを知っていた。社長と話し、数字の面で会社の経営支援をすることにやりがいを感じていた。仕事が嫌いな自分を好きにさせてくれた「数字を読む」ことは行政書士としての幅を拡げさせてくれた。

「本当に補助金や支援金、融資の話まで、情報が錯綜していた時期だったんです。だから『資金繰りの相談を受けます』というプレゼンテーションを行なったんです」。これまでのキャリアでも営業スキルを磨いてきただけに、話しも上手。許認可の相談から資金繰りの相談になることも多々あった。仕事を通じて付き合う人脈も変化していき、お金の知識と人脈のゲートキーパー的存在になっていった。彼の逆転人生がここから始まったのだ。

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2021/08/24

病気、飢饉、貧困、敵意、絶望etc……、光と影があるように、明るい未来だけじゃない世界も横たわっています。かといってそちらに向かう必要もありません。私たちは選択をして、声を挙げ、世界を変化させることができるのです。そして起業家はそういうことができやすい立場にあるのです。

数年前、私はある言葉を自分の会社のコアバリューに組み込みました。「Givers Gain®(ギバーズゲイン)」というシンプルな2語のフレーズは、人と人がつながるための、これまでになかった枠組みを提示した点で、画期的な変化をもたらしました。与える、ということは、今の自分よりも成長でき、所属するコミュニティを通じて自分がより高みの存在になれることを認識するはずです。この理念を理解すると、今までとはまったく違う世界が見えてくるはずです。だから私たちは、まだ知らない人にこの理念を理解し、実践するお手伝いをしていくことが大事なのです。

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2021/08/19

北村 瞳さん
BNI GG
(東京港中央)
カテゴリー:鍼灸セラピスト

1980年東京都北区生まれ。高校を卒業後就職、すぐに鍼灸の世界に進み、2015年に独立『心と身体に赦しの鍼灸 allow』を立ち上げる。2017年にBNIに入会。

本当は教師になりたかった。しかし親の一言で働かざるを得ず、初めての職場は女性だけの店。しかし、“女性特有の関係性”に悩まされストレスはたまる一方。その時に彼女を救ってくれたのは、鍼灸院だった。「高校時代から部活で通ってはいたので全く知らない世界ではなかったんですが、自分の体調がみるみる良くなっていくのを実感すると、純粋に面白い、この世界に飛び込もうって思いました」。ちょうど受付事務を探していた鍼灸院があり、すぐに転職。仕事をしながら、研修を受け、1年後には鍼灸の専門学校に入った。基礎知識があるので飲み込みも早い。専門学校を卒業後、鍼灸師として働き始め、2015年には独立を果たす。

きっとこれは自分のこと、と入会したBNI

仕事も軌道に乗り始めた頃、何故だか急に「弁護士の友達が欲しい、って思ったんです」。親友の会社を手伝っていたこともあり、その会社が受けているセミナーに潜り込むことができた。その講師が弁護士だったのだ。「親友は『プロフィール写真のキャラが濃い』って言っていましたけど、その写真を堂々と使っているところに、私は面白さを感じていたんです」。その弁護士こそ、現在所属しているGGチャプターの米澤章吾さんだった。「BNIどう?」と聞かれて行かないはずがない。なぜなら彼女にとって良いタイミングだったからだ。「ちょうどお客様の波が変わった時期でしたし、ミーティングの日が8月8日だったんです。この日はスピリチュアルな世界では『ライオンズゲート』といって、宇宙のエネルギーが地球に降り注ぐ日、と呼ばれています」。もはやBNIには“呼ばれている”と感じ、入会を希望していた親友よりも早く入会を決めた。

ただ、他のメンバーに心配されることがあった。当時女性メンバーが彼女一人だけだったからだ。「男性の方が言いたいことは目の前で言い合う、さばさばした方が多いですし、裏表がない性格の私には、逆に居心地が良かったですよ」。

ビジネスシードの人脈拡大にも即反応

BNIはビジネスの成長が目的、と聞かされてきた。事実そうだが、そのプロセスをむしろ楽しんでいる。「会いたい人に会えるところが魅力的で、何かを始めたいときも、いろんな人と繋がっていることでスタートもしやすいんです」。会いたい人がいるということは、ビジネスシードがそこにあるということ。それが即座に行なわれるのがBNIだ。会いたい人を紹介してくれるシステムが確立しているから。

その結果、現在は鍼灸の仕事とは別に、ギフトカテゴリーのメンバーとともに、彼女が描く似顔絵をギフトにするという商品化も始まっている。「絵を描くのが昔から好きで、保育園の時は漫画家になろうと思っていました。メンバーと話をしてビジネスになりそうだと思った瞬間があったんです。今度は鍼灸をイラストにして紹介すればわかりやすいかな、って」。商品化を今度は販売・拡大するための人脈も、たった一言でつながり合える。「ギバーズゲイン」の精神がそこにあるから。

感謝が循環する。それがBNI

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2021/08/03

宮川大作さん
BNI 情熱
(大阪セントラル)

カテゴリー:生花店

1976年大阪府豊中市生まれ。花園大学文学部史学科を卒業後繊維商社に。その後上司とともに生花店を含む企業を設立。2011年にBNIに出会い「BNI情熱」の立ち上げに奔走、その後『株式会社 Bond』を設立。現在生花店4店舗、保育園9園を運営しているほか、保育園ビジネスのコンサルティングも手掛けている。

現場で覚えた、創業・開店のためのマーケティング

アパレルビジネスをキャリアのスタートとし、上司と共に退職し、生花店を開業する。11年の勤務で会社は20店舗を構え、従業員も110名、結婚式場11施設と契約、飲食店も5店舗運営するまでに成長していった。宮川さんは店舗マネジメント、コンセプト作り、店舗プロデュース、ターゲットマーケティングを担当しながらも経理、人事、営業までこなし、創業・開店までのノウハウ、マーケティングスキルはすべて現場で覚えていった。

BNIに出会ったのは独立直前。同じ日にビジター参加した保険業の人とBNI情熱を立ち上げ、ほぼ同時に独立を果たす。既にマーケティングのスキルは持っていたが、「こんなにいいシステムはないと思います。私も元々お客様に自分の人脈を紹介していましたし、自然と売上も上がっていきますし」。自ら立ち上げ、コンセプトをしっかりと持ってチャプターを運営するのもこれまで培ってきたこと。「BNI情熱では“Sharing Our Dream”と、みんなの夢をみんなで共有する、ということを決めごととしてきました」。それが全員に浸透しているから、全員が日々のビジネス活動の中でメンバーの夢につながりそうな人脈を紹介できている。

「BNIを活用して感じるのは、夢を叶えるスピードが早い、ということ。全国にメンバーがいるから新しい地域へのビジネス展開も早いです。それに異業種だから別の仕事の仕組みを知ることもできます。そうすると、自分のビジネスを内側で見るだけでなく外側から眺めることでもできて、改善策が見えやすいんです」。全員で共有することで夢を最短距離で叶えていく。ビジネスを通じて信頼できる仲間がいるのもBNIの強み。

安定した成長のためのマーケティング

今、生花店は大阪に2店舗。東京に1店舗、そして4店舗目に和歌山を選んだ。開店するにあたって、これまでの知見をフルに生かした。出店するにあたり、別事業も併せて出店する。そうすることで来店客にしてみればウェイティング時に目にするので自然と刷り込まれていくのだ。宮川さんの会社は売上の7割が企業向けとなっているが、小売店としての店舗にも力を入れる。そのために自身の本籍地である和歌山市、場所の選定にあたっても花屋がある地域を選んだ。「花屋があるということはそこにニーズがあるということ。和歌山の人は結婚式を和歌山で挙げます。そのときに選んでもらうためにも、大阪や東京に店舗を構えているというのはブランディングにもなります」。そのブランディングを完遂するために洗練された店舗にして、コンセプトをしっかり作り込んだ。開店までの仕掛けを作り込めば、開店と同時に仕掛けは終わり、人は集まる。マーケティングの妙、である。

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2021/07/26

一般社団法人 日本適性力学協会 代表理事の宇敷珠美様(以下敬称略)と、BNIジャパンの大野真徳ナショナルディレクターとのオンライン対談が実現し、「ウェルスダイナミクス」や「ウェルススペクトル」についてお話ししました。

ライフスタイルに合わせてレベルを知る

大野:事業されている方がどういったステージで事業を発展させていくのか、今のステージで安定成長させていくのか、事業のやり方はいろいろありますが、自分の道筋を考えるときに役に立ちそうなウェルススペクトルについてお話を伺っていこうと思います。そこでまずは、ウェルスダイナミクス、ウェルススペクトルについて教えていただけますか?

 

宇敷:ウェルスダイナミクスと聞くと、起業家のタイプ分けのようなプロファイリングをイメージされる方が多いかもしれませんが、今回は“起業家レベル”というものを紹介したくて、そこにいることでの特典と代償、言い換えれば得られるもの、得られないものを正しく理解することで、どこのレベルがいいのかを選べるようにしてほしいと思っています。

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2021/07/20

【BNIマスターコネクターのご紹介】

光永誠司さん
カテゴリー:サッカー

4~6月に開催された「BNIマスターコネクターキャンペーン」にて、通算1位を獲得したのはBNI熊本シティ・Make it の光永誠司さん!この3カ月で招待したビジター数は32名。通算してBNIジャパンで1位となった!

「NPO法人スポーツクラブ・エスペランサ熊本」の代表であり、総監督を務めている光永さんのカテゴリーは「サッカー」。サッカーを通じて地域活性とビジネスの両立を図っている。

しかし、立ち上げた当時からずっと「サッカーへの情熱」が強く、ビジネススキルとマネタイズに自信がなかったことは否めない事実だった。その時に出会ったのがBNI。「単なる異業種交流会じゃない、という感覚でした。仲間となって楽しくビジネスをしている空気がありましたし、自身にビジネスのノウハウがなかったからトレーニングがあるのが頼もしかったですし、月1万円程でビジネスが回る仕組みなんて他にはなかったですし、何よりも本気でやっている会なんだ、って」。

BNIの活動がオンラインになってからは1日3~7件、同じチャプターメンバーや他のチャプターメンバーと1to1というミーティングを行ない、そこで多くの人のビジネスノウハウを聞きメモを取ってきた。貪欲なまでにBNIを活用し、自身のビジネスを成功させる取り組みの原点には、サッカーを通じて感じた「1番でなければいけない」という思いがある。

2008年にビーチサッカー日本代表のコーチを務めたこともあり、全国レベルの技術とメンタルを学んだ。「ビーチサッカーはマイナーです。アジアチャンピオンであることが使命である以上、負けは許されないんです。1番ならばメディアも取り上げ注目もしてくれます。2、3位では誰も見向きもしてくれないんですね。それに、信念を貫くことが大事で、何を言われても大丈夫なメンタルを強くすることも教わりました」。

6月に27名のビジターを招待できたのは、自身のメインプレゼンテーションがあったことから、クラブの社員全員に電話連絡をしてもらって達成したもの。「クラブが1番になることで、サッカービジネスを通じて地域活性化していくことを推進したい、という思いが今回ありました。だからクラブの社員全員でお呼びして、多くの方に聞いていただきたかったんです」。27名のうち6名が不参加だったが、翌週のメインプレゼンテーションはクラブのスポンサー企業。「恩義に感じないわけがありません。だから不参加だった6名には、翌週のチャプターミーティングに参加していただきました」。

今、BNIに参加して変わったことがある。「サッカーだけではない、と」。サッカー一辺倒だった人生が、BNIを通じて世界を知ったことで変化が起きたのだ。生徒たちにかける言葉も変わった。「小さいときから世界を感じ取ったほうがいい」と。実際、これまでには生徒を連れて世界各国に遠征したこともある。ブラジルに短期留学をさせたりもした。その結果、ビジネスを学びたいという子どもたちが現われ、大学進学を果たしたりもしている。「プロの選手になるのはほんの一握りです。全員がなれるわけじゃありません。ただ、このクラブで学んだメンタルや気付きを次のステップに生かしてくれたら、と思っています。彼らの人生は長いのですから」。

2021/07/13

私は天文学が好きです。望遠鏡で空を覗いたとき、レンズやフィルターを変えれば見えなかったものが見えたり、その逆もあったりする、ということを知りました。このフィルターでは明るすぎて見づらくなる、このレンズを付ければ美しく見える、いろいろとあります。それは私たちの人生にも同じことが言えるのではないでしょうか。 あなたが世界を見るために選ぶレンズは、これから見たり経験したりすることに大きな影響を与えていくのです。

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2021/07/06

蔵重 篤史さん
BNI NEXT NEO
(大阪北西)
カテゴリー:税理士

ナショナルカンファレンス2021のビデオコンテストで優秀作に選ばれたのは、大阪北西のNEXT NEOに所属する、税理士の蔵重篤史さん。蔵重さんは弁護士、司法書士、行政書士、保険、リサイクル貿易のメンバーと共に、地域の葬儀社と連携しながら、葬祭に関わる悩みをワンストップで解決する「縁満」を立ち上げた。各分野のプロが自分たちのスキルで連携するグループを立ち上げられたのも、BNIという仕組みがあったからこそ。

プレゼン能力を高めるために

蔵重さんは会計事務所で働いていた母から「商学部に入ったのだから税理士くらい目指しなさい」と言われていたものの、「母の現場を見ていたからですが、『地味な仕事はしたくない』と反発していました」。

しかし当時は就職氷河期、友人は思うような会社に就職できていないのを目の当たりにする。留年した蔵重さんにとってはさらに風当たりも強くなった。そのときに母の言葉を思い出し、税理士の勉強を始め、税理士資格を取得、卒業後税理士事務所に勤めることに。「刷り込みって大事なんだな、って思いました」。

独立するにあたり、最大の難関である“営業”をどうするか悩んでいた。別の組織に所属していた際、同じく税理士の先輩に相談すると、先輩は「朝活があるから」とさらっと答えた。それがBNIだった。ビジターが集まる「ビジネスオープンデー」に参加する前からBNIに入会すると決め、独立のちょうど1カ月前からスタートしていたチャプターNEXT NEOの立ち上げに参加した。「仕事は二の次、人とつながりができることと、プレゼン能力を高められることが魅力でした」。

一つのキーワードでつながる

ただ、入会してからしばらくは、蔵重さんの中でBNIへの評価はそれほど高くはなかった。「BNIの活動に時間を取られ、仕事の紹介はいただけましたがスポットでの紹介で期待ほどでもなかったんです」。時間をいかに使うか、仕事をいかに仕組化するか、蔵重さんはそう考えるようになった。

ちょうどその頃、オフィスが入っているビルの大家から空きテナントの相談を受けたので、自宅をオフィスにしている司法書士のメンバーと保険のメンバーを紹介した。そうして彼らと話しているうちに、一つのキーワードが浮かび上がった。それが「相続」だった。

「自分も相続税に対応はしていたのですが、トラブルも多いし、どちらかといえば暗いイメージ。もっと起業を応援するなど明るいイメージの仕事をしたい思いもありました」。しかし、メンバーからの一言が蔵重さんを変えていった。「確かにトラブルは多い。だからこそトラブルを少なくする世の中にしていきたいと思わないか?」。自分の仕事が世の中を良くするというポジティブな思考になり、社団法人を立ち上げ、ポータルサイトを開設、地域ごとの葬儀社と連携し、地域で一番のサイトとなるべく奔走した。

最大の魅力はポジティブな人

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