BNIジャパンを見てきた3人が伝えたいこと

2021/09/14

BNI J-ONE
(多摩東)

中野 竜爾さん
1964年東京都武蔵野市生まれ。中野会計事務所代表税理士
カテゴリーは【税理士】から【税理士(法人税・相続税)】へ

宮崎 圭史さん
1967年東京都板橋区生まれ。シャインリンケージ株式会社。
カテゴリーは【生命保険】から【生命保険(資産運用)】へ

篠原 一廣さん
1974年埼玉県蓮田市生まれ。篠原総合法律事務所代表弁護士
カテゴリーは【弁護士】から【法人交通事故専門弁護士】へ

 

2006年、BNIが日本で初めて誕生した。そのときに生まれたBNI J-ONEは、16年経った今も会員数40名以上で活動している。立ち上げたときから今もメンバーでいる中野竜爾さん、宮崎圭史さん、篠原一廣さんにこの16年間の推移とBNIの真髄を聞いた。

人のつながりこそがBNIを大きくする

篠原「別の団体が開催する朝会で大野さんと出会ったんです。『私もこれから新しい朝会を立ち上げるんです』と聞き、参加してみようとは思いました。結構駆け出しの士業の人はこういう会には積極的ですよ。ただ、高額セミナーの一種じゃないだろうな、なんて警戒心はありましたけど(笑)」。

中野「忘れもしません。3月13日に電話があったんです。この時期は確定申告で繁忙期なんですが、この年だけ早く終わったんです。だからいつもは出ない電話に出ることになって。ピンポイントで電話をいただいていて、知り合いの士業の人もいたし、最初は“騙されるなら一緒に”という感じで思ってました(笑)」。

宮崎「既に入会を済ませていた士業の知り合いが勧めてくれたんです。それならばいいのかも、という思いはありました。最初は木曜日でスタートしたのですが、別の朝会が木曜日だったために金曜日に変えてほしい、ということで金曜日になったんです」。

三者三様ではあるが、一つ共通するのは“知っている人が勧めてくれた”ということ。

リーダーシップの一つの解がある

20人でスタートしたJ-ONEはしばらくメンバー数としては小康状態が続く。「少ないからこそ結束力はむしろ強くなっていたと思います(篠原さん)」。そこにターニングポイントが訪れる。渡辺直行さん(現:BNI横浜セントラル・エグゼクティブディレクター)のプレジデント就任だ。「とにかくBNIラブな人で、スーツからシャツ、パンツに至るまで、さらに車もバイクも全部BNIカラーで統一するくらいの人だったんです(中野さん)」。目標達成へのコミットメントがしっかりとしていて、メンバーを鼓舞し、ビジター数、メンバー数は50名へと増加していった。「かといって、強制はしないんです。自分でビジターも招待して、一所懸命取り組んでいたんです。その姿、その熱量に周りが応援しようという空気が生まれたんです(宮崎さん)」。渡辺さんは他人を鼓舞しながら自分も実践する。時には道化を演じ、真面目過ぎず、それでも達成への努力は怠らない。リーダーシップの一つの解がここにある。

何よりもBNI J-ONEのディレクターが、大野真徳ナショナルディレクターだったのだ。日本で一番BNIを知っている人が伝えるからこそ、理解度は高い。「最初からメンバーも運営面もレベルは高かったと思います(宮崎さん)」。全員がBNIに対して腑に落ちると、あとは習慣化していくだけ。「3年目からはBNI自体が日常と化して、夜型だった自分がBNIスタイルに合わせた生活になっていました(篠原さん)」。

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