2021/03/29

BNI 奈良市京都南
吉田淳一さん

1977年宇治市生まれ。京都造形芸術大学卒業後、グラフィックデザインの会社に勤める傍らアーティスト・和太鼓奏者という顔を持ち活動。26歳で『JY DESIGN』を起業し、2014年にBNI新撰組チャプター入会。BNI京都セントラルリージョンにてアンバサダー、ディレクターを務める

ビジネスマンとアーティスト、そしてパフォーマーのトリプルフェイス

現在、奈良県に一つBNI DEERチャプターが存在していますが、リージョンとしてより多くのメンバーでビジネス拡大をしていこうと、「BNI奈良市・京都南リージョン」での立ち上げを開始しました。その重責を担っているのが吉田淳一さんです。グラフィックデザイナーとしてビジネスを行ない、そのカテゴリーでBNI新撰組チャプターに所属し、ディレクターも務めていましたが、吉田さんにはもう2つの顔がありました。造形アーティスト、そして和太鼓奏者という顔が。

パッケージデザインの会社でサラリーマンをしながらも、造形アーティスト活動を続けていた頃に大手芸能事務所から契約の話が。25歳だった当時は夢を追いかけ東京へ。しかし、東京の魅力に惹かれて昼夜逆転の生活になり、アーティスト活動もままならず、「自分は何がしたかったのだろう」と悩む日々。ちょうどその頃に一本の電話が。前職の会社から仕事の依頼だったのです。「そのとき、朝10時に集合と聞いたとき、『朝早いなぁ』と思ったくらい、生活リズムは崩れていました」。この打ち合わせでパンフレットの仕事をもらったとき、初めて気づきました。「あぁ、こういうきっちりと仕事をするほうが自分の性に合っている、と」。アーティスト活動は1年で終了、京都に戻りグラフィックデザイナーとして独立します。

もう一つ、大学時代から続けていたのが和太鼓でした。都合20年続けており、プロにも通じる腕前だったそうです。しかしデザイナーと和太鼓奏者、二足のわらじで生活している自分がどっちつかずになっている、ということに直面します。本気でどちらの道を進むか悩んだとき、自分の心に問いました。「今、自分がやりたいのは企業として成長することだと思ったんです」。そしてデザイナーとして一直線に進みます。そう思わせたのもBNIでの活動があるのかもしれません。

何も知らずに入会した後にわかったベネフィット

2014年にBNI新撰組チャプターに入会しますが、そのときは、たまたま自身のビジネスカテゴリーが空いていたからという理由で、メリットやベネフィットをさほど感じていなかったそうです。しかし2年後にはプレジデントの役を引き受けることに。このときBNIに参加する意義を感じたそうです。「メンバーが喜ぶことをする。これはお金では買えないものだと気付きました」。入会してからの6年間を振り返ってみると、自身のビジネスの約50%がメンバーからのリファーラルだったこともわかり、いつしか吉田さんにとってBNIは欠かせないものとなっていました。

新型コロナウイルスがさせた大きな決断

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2021/03/22

私は2020年の終わりに、自分のソーシャルメディアに次のようなユーモラスなグラフィックデザイン(上記画像)を掲載しました。

親愛なる2021年:私はあなたに面倒をかけたくありません。 ただ入ってきて、隅っこに座って、何も触らず、口を閉じていてください。

その通りだし、笑いを誘う表現ですが、この言葉には大切な裏の意味があります。 それは、「2020年から私たちは何を学んだのか」ということです。 この問いについて考えることが重要だと思います。 うまくいかないことに文句を言うのは簡単ですが、困難な状況においては、なかなかポジティブになれないものです。私は、人生の中で宝ものを見つけることが、成功して前進するための最良の方法だと信じています。

私は2020年から多くのことを学び、それは私にとって貴重な教訓となりました。 ここでは、私が2020年から得た7つの収穫を紹介します。

1. ニュースを過大視しない

私はニュースアプリから必要な情報を得て、何時間もニュースを見て問題に執着しないことを学びました。ネガティブなニュースはよく読まれるので、メディアはネガティブなニュースを伝える達人になっています(厳密には、実際のニュースと同じかそれ以上に、「意見」を伝えるようになっています)。

2. 貴重な教訓〜ある男性の気づき〜

ある男性は、仕事を続けることができたものの、自宅で仕事をしなければならず、さらに子供たちの世話をしたり学校の勉強を続けさせなければなりませんでした。 彼は、複数のタスクをこなさなくてはならない状況にストレスを感じていると言っていました。しかし、話しているうちに、彼は、幼い子どもたちとより充実した時間を過ごせるチャンスだと気付いたのです。 「大変な状況ではあるけれども、子どもたちにとっては、一緒に過ごした経験を懐かしく思い出す時間になるかもしれない。」この考えを受け入れたとき、彼の状況に対する見方は一変しました。 これは、子供を持つ多くの人に経験してほしい教訓でした。

3. 希望は恐怖に勝る

2020年には、多くの経営者が「恐怖心」を「集中力」で打ち負かすのを目のあたりにしました。 恐怖の中で希望を失いながらも、逆にその恐怖が集中力を与え、彼らは希望を持ち、嵐を乗り越えようとしました。 希望は恐怖よりも強力です。 希望とは、周りの人が「できない」と叫んでいるときに、「できる」とささやく自分の中の小さな声のことです。希望に加えて、計画、そして行動すれば、困難を乗り越えることができます。

4. 困難な時期には、ネットワークがあなたを支えてくれる

私は人々が精神的にも仕事上でもお互いに支え合っているのを見てきました。アイデアを出し合って、ビジネスを存続させ、成長させていたのです。 例えば、家具の張り替え屋さんがマスクの製造会社になったり、ビール工場が手指消毒液の会社になったりしました。

5. 困難な時期が終わるまで待っていたら、あなたのビジネスは終わってしまう

困難な時期には、これまで以上にネットワークが必要です。 ソーシャルディスタンス (社会的に距離を置くこと)は誤った態度であり、フィジカルディスタンス(物理的な距離を置くこと)こそが重要でした。 私たちは、これまで以上に社会的に繋がる必要があったのです。 成功しているビジネスは、ネットワークを捨てずに活性化させていました。

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2021/03/15

市原 淑行(よしゆき)さん
BNI
レインボー
(東京港中央)
カテゴリー:事業主向け積立の窓口

市原さんの実家は浅草で祖父の代から続く和装小物・レンタル着物の店。父親が跡を継ぎましたが、市原さんが大学生の時に他界、3代目として父親の兄弟が継いだことで市原さん自身は大学卒業後に別の仕事に就きます。リゾートクラブ会員権販売の仕事で全国を飛び回った後、保険業界に飛び込みますが、簡単に売上は上がりません。伸び悩んでいるときに出会ったのがBNIでした。
「一度ビジター参加して面白いと思ったし、すぐにでも入りたかったけれども、他の団体にも所属していたので、そちらを卒業してから入ろうかと」。

BNIは一つのチャプターに同じ専門分野(カテゴリー)で入会することはできません。40歳になって入会しようとしたチャプターには、既に自分と同じ専門分野で活動しているメンバーもいたので別のチャプターに入会することになります。時を同じくして実家の仕事も4代目として受け継ぎ、平日は保険の仕事、土日は実家の仕事と、二足のわらじでビジネスを行なっています。

先述した通り、BNIの一つのチャプターには一つの専門分野につき一名のメンバーが加入しています。つまり全員がそれぞれの専門分野ですから、プロ同士アイデアを出し合って新しいビジネス展開をすることもよくあります。BNIでは、競合することなく、お互いに積極的に顧客を紹介し合えるチャプター内のチームをパワーチームと呼びますが、市原さんはパワーチームでM&A案件を数多く手掛けてきました。市原さんもまた自身の知識と経験で一つの会社をM&Aで買収したそうです。

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2021/03/01

BNI 千葉京葉
高山英明さん

千葉県出身。明治大学卒業後家業の酒屋を継ぎ、飲食店を展開。BNI千葉セントラルリージョンのハーバーチャプターに入会し、8カ月間毎週ビジター招待をするなど多大な貢献を行なう。ディレクターとしてチャプターを立ち上げた後、現在は千葉京葉リージョンのエグゼクティブディレクターを目指して日々奔走している。

オンラインだから毎日12人とミーティング

船橋市、習志野市、市川市、浦安市を中心とした「BNI千葉京葉リージョン」を立ち上げるべく、現在奔走しているエグゼクティブディレクター候補・高山英明さん。BNI千葉セントラルリージョン、ハーバーチャプターに所属し、ディレクターとしてチャプターを立ち上げた後、エグゼクティブディレクターに向けてチャレンジを始めました。現在はスタートして数週間が過ぎ、2つのチャプターを同時に立ち上げる準備を行ない、毎日12~13人との面談を行なっています。「オンラインでなかったらこれほどの人と面談はできませんでしたし、距離も関係ないですから、とても活動しやすいと思います」。コロナ状況下においてBNIはオンラインでのビジネス活動にすぐさま取り組み、時代もまたオンラインでの活動が当たり前になってきています。毎日12人との面談が可能になっているのはその証左でもあります。

勢いで家業を継ぎ、実業家へと

実は高山さんは就職をしたことがありません。剣道で大学推薦を受け、ゆくゆくは実業団で日本一を目指す、という将来の道を漠然と描いていましたが、大学4年のときに父親が他界。実家の酒屋を閉める、という母親の言葉を聞き、「店を継ぐ」と伝えたことで人生がガラリと変わっていきます。

当時は安売り店やコンビニが台頭してきた時代、飛び込み営業で顧客を獲得してきましたが、取引先が増えれば増えるほど資金繰りも大変になります。ある日取引先のスナックに飲みに行ったとき、酒を売る自分の利益と店の利益の差に愕然とします。「このままでは立ちいかない。自分も飲食店を出す」と決意し、店の脇にカクテルバーを構えます。さらに「自分がいなくても店が回る仕組みを」と、ダイニングバーを開店するや大ヒット。さらに店舗も拡大し、最大15店舗スタッフ150人を擁する実業家として成功を収めていきます。

BNI貢献の裏にあった真実とは

これまでの人生において、人と人をつなぐことを得意としてきた高山さんにとって、BNIは理想的な組織でした。ある日経営するラーメン店のスタッフ宛にミーティングの招待状が届いたとき、内容を知って魅力的に感じ、「自分が参加する」と出席、そのままメンバーになったのでした。

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