2021/09/07

林佳慶さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:台湾ビジネスサポート

1988年東京都文京区生まれ。中学は台湾で、高校・大学はアメリカで学び、父をはじめとした友人が出資している外国人向けの不動産会社に就職。2018年に代表取締役に、翌年に社名を変更して『株式会社KAKEI』とする。BNIは2018年に入会。

台湾パイナップルをメンバーが救った

今ではスーパーでよく見かけるようになった台湾産パイナップル。この「台湾パイナップル」の日本への輸入に、BNIメンバーのグローバルネットワークが一役買っていることはあまり知られていない。

中国当局が2021年3月1日からの台湾パイナップルの輸入禁止を通達したのは実施の3日前だった。中台対立を背景とした中国政府による経済制裁の一種と考えられている。台湾パイナップルの輸出先の97%が中国であっただけに、生産農家は窮地に陥り、諸外国で支援の動きが始まった。

BNI S1の林佳さんは、台湾の生産農家のBNIメンバーが窮状に陥っていることを知り、このニュースをいち早く日本国内のBNIメンバーに伝えた。すると、そのうちの一人から「大阪の貿易業者を知っているから繋いでみる」との声が。そして、禁輸措置発表後初めて、台湾パイナップルの日本への輸入が実現した。行き場を失っていた2コンテナ分の台湾パイナップルが大阪の港に到着し、継続的に輸入することも決まった。

このストーリーはグローバルビジネスの成功例としての話ではない。BNIが実践している“ネットワーキング(人脈構築)”の賜物が仲間を救った、という話だ。単純に同じBNIメンバーだから、ではなく、これまで互いの国のメンバーが人脈の紹介をしようと動いているのを知っていたから、この困ったときに「何か手伝えることはないですか?」と、日本国内のメンバーが動いたのだ。台湾のパイナップル業者のメンバーのために台湾の人たちが動いたのは、そのメンバーが台湾の中でも高い貢献をしていたからだ。そして両国を繋いだのは、日本と台湾の間にルーツを持つ林さんの動きがあったからだ。

自分の可能性を閉じない13歳の決意

両親は台湾人。東京で生まれても、台湾人というアイデンティティは強く持っていた。だから中学生になったら台湾に渡ると決めていた。「といっても、躾の厳しい両親から離れたい、という思いも強かったんですが」。学校では日本語、家庭では台湾語、だから言葉の壁はない、はずだった。

しかし、台湾の中学校で使っていたのは北京語だったのだ。同じようにみえてもまったく違う。大いなる誤算。授業についていけない。日本での成績が良かった自分はもはやいない。かといって来てしまった以上、簡単に帰るわけにはいかない。「厳しかったんですが、離れてみて親の愛情がわかりました」。ただ、この13歳のときの境遇が人格を、そしてこの後の人生を決めていった。自分の可能性を決めつけない、卑下しない、ということだ。「別の人から見たら輝いているところがあるんです。だから自分の可能性を自分でブロックしない、そう決めて生きてきました」。

自分の強みを、可能性を知ること

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2021/08/31

𠮷野智成さん
BNI S1
(東京港中央)
カテゴリー:行政書士

1983年埼玉県行田市生まれ。駒沢大学法学部を卒業後、営業を中心とした業務に就き、税理士事務所、法律事務所、マーケティング会社などを転々とし、再度税理士事務所勤務を経て2019年12月に行政書士登録、2020年2月にBNI入会、4月に独立。

目覚ましい活躍はBNIから

行政書士として数々の事業所の融資手続きや補助金、支援金などの申請代行依頼が山のように訪れ、今では大手行政書士法人と連携し、補助金アドバイザーを手掛けている。この仕事に就きたいという若者にメルマガの配信や教育など、目覚ましい活躍を見せている𠮷野さん。BNI入会はパンデミック直前の2020年2月、行政書士としての独立が緊急事態宣言発令の2020年4月と、最悪のタイミングでの船出だったように見えるが、それは“逆転人生”への船出でもあった。

仕事はあまりしたくない人生

「仕事はほどほどに、土日の休みが欲しい」。だから公務員を選択したが不合格の連続。その後歩んでいったキャリアは多岐にわたる。ブラック・体育会系だったために退社、やる気がみなぎっている若い会社も性格的に向いておらず退社。転々とした人生はついにフリーターという立場にまで。仕事をと1年間で100社を受けても、30歳を超えた彼を誰も採用しようとはしなかった。年金事務所にかろうじてパートとして働き口を見つけたが、本当は正社員で働きたい。そこで求人誌を眺めていたところ見つけたのが税理士事務所。これまで歩んできたキャリアの知識を生かせると応募した。「今度の事務所はホワイトでした(笑)。70代の代表で、不器用だけど社員に温かく、上司として尊敬できる人でした」。

仕事をしていく中で知り合いの弁護士からこんな話を受けた。「インバウンド需要を見据えて、外国人のビザ申請代行を継続して発注したいという会社があるけど、その仕事を受けてみないか」。間違いなく需要を感じる。独立志向はあったからここがタイミングと、上司に相談し、4月に独立することを伝えた。それが2019年12月のこと。

明日BNIに来てみませんか?

「明日BNIに来てみませんか?」。知り合いの税理士から声を掛けられたのが翌2020年1月。五反田のカフェで話をしているときに声を掛けられたのだが、ミーティングは翌日、それも千葉市。そして入会したのは東京のチャプター。「正直半信半疑だったんです。士業界隈ではBNIは有名でした。合う人合わない人がいますし、メリットデメリットも理解していました」。

参加してみて一番驚いたことは、紹介でビジネスが本当に回っているということだった。紹介での営業はない、と信じ切っていたからこそ新鮮だった。「いい意味で人間味があって嘘がない。真剣にビジネスをしているのにアットホーム感がある。この環境で1年やってみて仕事ができないのなら独立も辞めよう、と思っていたんです」。その後“合宿”に誘われメンバーを深く知る機会を得る。「この時点でカテゴリー【台湾ビジネスサポート】の林佳慶さんなどプライべートでも腹を割って話せる仲間ができたことが大きかったです。メンバーとしてすぐに打ち解ける環境を作ってくれたことに感謝しています」。

初めて気づく自分の強み

ただ、独立は大嵐の船出だった。インバウンド需要の仕事はゼロ。どうしようもなく、メンバーの井上信次さん【カテゴリー:競争しないビジネスモデルの専門家】に相談した。「強みを生かした仕事に転換するのもいい」。この言葉に果たして自分は何が強みなのかを考えた。しかし、自分の強みを強みだとわからないことがある。自分の中で“当たり前のこと”は同じ業種の人もできているもの、と思ってしまうからだ。

彼が持つ周りの行政書士にはないスキルとは、「数字が読める」ことだった。以前働いていた税理士事務所で、上司とともに様々な会社の“数字”を見てきた。会社ごとにサポートするプロセスの楽しさを知っていた。社長と話し、数字の面で会社の経営支援をすることにやりがいを感じていた。仕事が嫌いな自分を好きにさせてくれた「数字を読む」ことは行政書士としての幅を拡げさせてくれた。

「本当に補助金や支援金、融資の話まで、情報が錯綜していた時期だったんです。だから『資金繰りの相談を受けます』というプレゼンテーションを行なったんです」。これまでのキャリアでも営業スキルを磨いてきただけに、話しも上手。許認可の相談から資金繰りの相談になることも多々あった。仕事を通じて付き合う人脈も変化していき、お金の知識と人脈のゲートキーパー的存在になっていった。彼の逆転人生がここから始まったのだ。

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2021/08/24

病気、飢饉、貧困、敵意、絶望etc……、光と影があるように、明るい未来だけじゃない世界も横たわっています。かといってそちらに向かう必要もありません。私たちは選択をして、声を挙げ、世界を変化させることができるのです。そして起業家はそういうことができやすい立場にあるのです。

数年前、私はある言葉を自分の会社のコアバリューに組み込みました。「Givers Gain®(ギバーズゲイン)」というシンプルな2語のフレーズは、人と人がつながるための、これまでになかった枠組みを提示した点で、画期的な変化をもたらしました。与える、ということは、今の自分よりも成長でき、所属するコミュニティを通じて自分がより高みの存在になれることを認識するはずです。この理念を理解すると、今までとはまったく違う世界が見えてくるはずです。だから私たちは、まだ知らない人にこの理念を理解し、実践するお手伝いをしていくことが大事なのです。

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2021/08/19

北村 瞳さん
BNI GG
(東京港中央)
カテゴリー:鍼灸セラピスト

1980年東京都北区生まれ。高校を卒業後就職、すぐに鍼灸の世界に進み、2015年に独立『心と身体に赦しの鍼灸 allow』を立ち上げる。2017年にBNIに入会。

本当は教師になりたかった。しかし親の一言で働かざるを得ず、初めての職場は女性だけの店。しかし、“女性特有の関係性”に悩まされストレスはたまる一方。その時に彼女を救ってくれたのは、鍼灸院だった。「高校時代から部活で通ってはいたので全く知らない世界ではなかったんですが、自分の体調がみるみる良くなっていくのを実感すると、純粋に面白い、この世界に飛び込もうって思いました」。ちょうど受付事務を探していた鍼灸院があり、すぐに転職。仕事をしながら、研修を受け、1年後には鍼灸の専門学校に入った。基礎知識があるので飲み込みも早い。専門学校を卒業後、鍼灸師として働き始め、2015年には独立を果たす。

きっとこれは自分のこと、と入会したBNI

仕事も軌道に乗り始めた頃、何故だか急に「弁護士の友達が欲しい、って思ったんです」。親友の会社を手伝っていたこともあり、その会社が受けているセミナーに潜り込むことができた。その講師が弁護士だったのだ。「親友は『プロフィール写真のキャラが濃い』って言っていましたけど、その写真を堂々と使っているところに、私は面白さを感じていたんです」。その弁護士こそ、現在所属しているGGチャプターの米澤章吾さんだった。「BNIどう?」と聞かれて行かないはずがない。なぜなら彼女にとって良いタイミングだったからだ。「ちょうどお客様の波が変わった時期でしたし、ミーティングの日が8月8日だったんです。この日はスピリチュアルな世界では『ライオンズゲート』といって、宇宙のエネルギーが地球に降り注ぐ日、と呼ばれています」。もはやBNIには“呼ばれている”と感じ、入会を希望していた親友よりも早く入会を決めた。

ただ、他のメンバーに心配されることがあった。当時女性メンバーが彼女一人だけだったからだ。「男性の方が言いたいことは目の前で言い合う、さばさばした方が多いですし、裏表がない性格の私には、逆に居心地が良かったですよ」。

ビジネスシードの人脈拡大にも即反応

BNIはビジネスの成長が目的、と聞かされてきた。事実そうだが、そのプロセスをむしろ楽しんでいる。「会いたい人に会えるところが魅力的で、何かを始めたいときも、いろんな人と繋がっていることでスタートもしやすいんです」。会いたい人がいるということは、ビジネスシードがそこにあるということ。それが即座に行なわれるのがBNIだ。会いたい人を紹介してくれるシステムが確立しているから。

その結果、現在は鍼灸の仕事とは別に、ギフトカテゴリーのメンバーとともに、彼女が描く似顔絵をギフトにするという商品化も始まっている。「絵を描くのが昔から好きで、保育園の時は漫画家になろうと思っていました。メンバーと話をしてビジネスになりそうだと思った瞬間があったんです。今度は鍼灸をイラストにして紹介すればわかりやすいかな、って」。商品化を今度は販売・拡大するための人脈も、たった一言でつながり合える。「ギバーズゲイン」の精神がそこにあるから。

感謝が循環する。それがBNI

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2021/08/03

宮川大作さん
BNI 情熱
(大阪セントラル)

カテゴリー:生花店

1976年大阪府豊中市生まれ。花園大学文学部史学科を卒業後繊維商社に。その後上司とともに生花店を含む企業を設立。2011年にBNIに出会い「BNI情熱」の立ち上げに奔走、その後『株式会社 Bond』を設立。現在生花店4店舗、保育園9園を運営しているほか、保育園ビジネスのコンサルティングも手掛けている。

現場で覚えた、創業・開店のためのマーケティング

アパレルビジネスをキャリアのスタートとし、上司と共に退職し、生花店を開業する。11年の勤務で会社は20店舗を構え、従業員も110名、結婚式場11施設と契約、飲食店も5店舗運営するまでに成長していった。宮川さんは店舗マネジメント、コンセプト作り、店舗プロデュース、ターゲットマーケティングを担当しながらも経理、人事、営業までこなし、創業・開店までのノウハウ、マーケティングスキルはすべて現場で覚えていった。

BNIに出会ったのは独立直前。同じ日にビジター参加した保険業の人とBNI情熱を立ち上げ、ほぼ同時に独立を果たす。既にマーケティングのスキルは持っていたが、「こんなにいいシステムはないと思います。私も元々お客様に自分の人脈を紹介していましたし、自然と売上も上がっていきますし」。自ら立ち上げ、コンセプトをしっかりと持ってチャプターを運営するのもこれまで培ってきたこと。「BNI情熱では“Sharing Our Dream”と、みんなの夢をみんなで共有する、ということを決めごととしてきました」。それが全員に浸透しているから、全員が日々のビジネス活動の中でメンバーの夢につながりそうな人脈を紹介できている。

「BNIを活用して感じるのは、夢を叶えるスピードが早い、ということ。全国にメンバーがいるから新しい地域へのビジネス展開も早いです。それに異業種だから別の仕事の仕組みを知ることもできます。そうすると、自分のビジネスを内側で見るだけでなく外側から眺めることでもできて、改善策が見えやすいんです」。全員で共有することで夢を最短距離で叶えていく。ビジネスを通じて信頼できる仲間がいるのもBNIの強み。

安定した成長のためのマーケティング

今、生花店は大阪に2店舗。東京に1店舗、そして4店舗目に和歌山を選んだ。開店するにあたって、これまでの知見をフルに生かした。出店するにあたり、別事業も併せて出店する。そうすることで来店客にしてみればウェイティング時に目にするので自然と刷り込まれていくのだ。宮川さんの会社は売上の7割が企業向けとなっているが、小売店としての店舗にも力を入れる。そのために自身の本籍地である和歌山市、場所の選定にあたっても花屋がある地域を選んだ。「花屋があるということはそこにニーズがあるということ。和歌山の人は結婚式を和歌山で挙げます。そのときに選んでもらうためにも、大阪や東京に店舗を構えているというのはブランディングにもなります」。そのブランディングを完遂するために洗練された店舗にして、コンセプトをしっかり作り込んだ。開店までの仕掛けを作り込めば、開店と同時に仕掛けは終わり、人は集まる。マーケティングの妙、である。

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2021/07/26

一般社団法人 日本適性力学協会 代表理事の宇敷珠美様(以下敬称略)と、BNIジャパンの大野真徳ナショナルディレクターとのオンライン対談が実現し、「ウェルスダイナミクス」や「ウェルススペクトル」についてお話ししました。

ライフスタイルに合わせてレベルを知る

大野:事業されている方がどういったステージで事業を発展させていくのか、今のステージで安定成長させていくのか、事業のやり方はいろいろありますが、自分の道筋を考えるときに役に立ちそうなウェルススペクトルについてお話を伺っていこうと思います。そこでまずは、ウェルスダイナミクス、ウェルススペクトルについて教えていただけますか?

 

宇敷:ウェルスダイナミクスと聞くと、起業家のタイプ分けのようなプロファイリングをイメージされる方が多いかもしれませんが、今回は“起業家レベル”というものを紹介したくて、そこにいることでの特典と代償、言い換えれば得られるもの、得られないものを正しく理解することで、どこのレベルがいいのかを選べるようにしてほしいと思っています。

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2021/07/20

【BNIマスターコネクターのご紹介】

光永誠司さん
カテゴリー:サッカー

4~6月に開催された「BNIマスターコネクターキャンペーン」にて、通算1位を獲得したのはBNI熊本シティ・Make it の光永誠司さん!この3カ月で招待したビジター数は32名。通算してBNIジャパンで1位となった!

「NPO法人スポーツクラブ・エスペランサ熊本」の代表であり、総監督を務めている光永さんのカテゴリーは「サッカー」。サッカーを通じて地域活性とビジネスの両立を図っている。

しかし、立ち上げた当時からずっと「サッカーへの情熱」が強く、ビジネススキルとマネタイズに自信がなかったことは否めない事実だった。その時に出会ったのがBNI。「単なる異業種交流会じゃない、という感覚でした。仲間となって楽しくビジネスをしている空気がありましたし、自身にビジネスのノウハウがなかったからトレーニングがあるのが頼もしかったですし、月1万円程でビジネスが回る仕組みなんて他にはなかったですし、何よりも本気でやっている会なんだ、って」。

BNIの活動がオンラインになってからは1日3~7件、同じチャプターメンバーや他のチャプターメンバーと1to1というミーティングを行ない、そこで多くの人のビジネスノウハウを聞きメモを取ってきた。貪欲なまでにBNIを活用し、自身のビジネスを成功させる取り組みの原点には、サッカーを通じて感じた「1番でなければいけない」という思いがある。

2008年にビーチサッカー日本代表のコーチを務めたこともあり、全国レベルの技術とメンタルを学んだ。「ビーチサッカーはマイナーです。アジアチャンピオンであることが使命である以上、負けは許されないんです。1番ならばメディアも取り上げ注目もしてくれます。2、3位では誰も見向きもしてくれないんですね。それに、信念を貫くことが大事で、何を言われても大丈夫なメンタルを強くすることも教わりました」。

6月に27名のビジターを招待できたのは、自身のメインプレゼンテーションがあったことから、クラブの社員全員に電話連絡をしてもらって達成したもの。「クラブが1番になることで、サッカービジネスを通じて地域活性化していくことを推進したい、という思いが今回ありました。だからクラブの社員全員でお呼びして、多くの方に聞いていただきたかったんです」。27名のうち6名が不参加だったが、翌週のメインプレゼンテーションはクラブのスポンサー企業。「恩義に感じないわけがありません。だから不参加だった6名には、翌週のチャプターミーティングに参加していただきました」。

今、BNIに参加して変わったことがある。「サッカーだけではない、と」。サッカー一辺倒だった人生が、BNIを通じて世界を知ったことで変化が起きたのだ。生徒たちにかける言葉も変わった。「小さいときから世界を感じ取ったほうがいい」と。実際、これまでには生徒を連れて世界各国に遠征したこともある。ブラジルに短期留学をさせたりもした。その結果、ビジネスを学びたいという子どもたちが現われ、大学進学を果たしたりもしている。「プロの選手になるのはほんの一握りです。全員がなれるわけじゃありません。ただ、このクラブで学んだメンタルや気付きを次のステップに生かしてくれたら、と思っています。彼らの人生は長いのですから」。

2021/07/13

私は天文学が好きです。望遠鏡で空を覗いたとき、レンズやフィルターを変えれば見えなかったものが見えたり、その逆もあったりする、ということを知りました。このフィルターでは明るすぎて見づらくなる、このレンズを付ければ美しく見える、いろいろとあります。それは私たちの人生にも同じことが言えるのではないでしょうか。 あなたが世界を見るために選ぶレンズは、これから見たり経験したりすることに大きな影響を与えていくのです。

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2021/07/06

蔵重 篤史さん
BNI NEXT NEO
(大阪北西)
カテゴリー:税理士

ナショナルカンファレンス2021のビデオコンテストで優秀作に選ばれたのは、大阪北西のNEXT NEOに所属する、税理士の蔵重篤史さん。蔵重さんは弁護士、司法書士、行政書士、保険、リサイクル貿易のメンバーと共に、地域の葬儀社と連携しながら、葬祭に関わる悩みをワンストップで解決する「縁満」を立ち上げた。各分野のプロが自分たちのスキルで連携するグループを立ち上げられたのも、BNIという仕組みがあったからこそ。

プレゼン能力を高めるために

蔵重さんは会計事務所で働いていた母から「商学部に入ったのだから税理士くらい目指しなさい」と言われていたものの、「母の現場を見ていたからですが、『地味な仕事はしたくない』と反発していました」。

しかし当時は就職氷河期、友人は思うような会社に就職できていないのを目の当たりにする。留年した蔵重さんにとってはさらに風当たりも強くなった。そのときに母の言葉を思い出し、税理士の勉強を始め、税理士資格を取得、卒業後税理士事務所に勤めることに。「刷り込みって大事なんだな、って思いました」。

独立するにあたり、最大の難関である“営業”をどうするか悩んでいた。別の組織に所属していた際、同じく税理士の先輩に相談すると、先輩は「朝活があるから」とさらっと答えた。それがBNIだった。ビジターが集まる「ビジネスオープンデー」に参加する前からBNIに入会すると決め、独立のちょうど1カ月前からスタートしていたチャプターNEXT NEOの立ち上げに参加した。「仕事は二の次、人とつながりができることと、プレゼン能力を高められることが魅力でした」。

一つのキーワードでつながる

ただ、入会してからしばらくは、蔵重さんの中でBNIへの評価はそれほど高くはなかった。「BNIの活動に時間を取られ、仕事の紹介はいただけましたがスポットでの紹介で期待ほどでもなかったんです」。時間をいかに使うか、仕事をいかに仕組化するか、蔵重さんはそう考えるようになった。

ちょうどその頃、オフィスが入っているビルの大家から空きテナントの相談を受けたので、自宅をオフィスにしている司法書士のメンバーと保険のメンバーを紹介した。そうして彼らと話しているうちに、一つのキーワードが浮かび上がった。それが「相続」だった。

「自分も相続税に対応はしていたのですが、トラブルも多いし、どちらかといえば暗いイメージ。もっと起業を応援するなど明るいイメージの仕事をしたい思いもありました」。しかし、メンバーからの一言が蔵重さんを変えていった。「確かにトラブルは多い。だからこそトラブルを少なくする世の中にしていきたいと思わないか?」。自分の仕事が世の中を良くするというポジティブな思考になり、社団法人を立ち上げ、ポータルサイトを開設、地域ごとの葬儀社と連携し、地域で一番のサイトとなるべく奔走した。

最大の魅力はポジティブな人

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2021/06/29

【BNIマスターコネクターのご紹介】

「4月に同じチャプターのメンバーが表彰されたのをSNSで見て、それ以上のビジターを招待しようと思ったんです」。5月1~31日の一カ月間で、16名のビジターを招待したことで6月度の表彰を受けた。

“人脈の達人”とも言えるマスターコネクター。BNI DIANAの井上大祐さんは、今年3月に入会したばかり。実は前任者がいたのだが、会社を辞めてしまったために自分が代わりに入会した。元々BNI外で、DIANAのメンバーとは知り合っており、いつかはBNIに…という思いがあったという。
「スタートアップや5人以下の企業は人脈を作ることが売り上げに直結します。BNIはそのシステムが確立されています。だから入会すればその月から売上は上がるのかなと思っていました」。

実際に井上さんは入会後すぐに売上を上げており、売上につながるリファーラル(※1)(ビジネスにつながる人脈紹介)も毎週のように提供、入会3カ月ながら既に多大な貢献を行っている。「日々の行為がそのままリファーラルになっているだけですよ」というが、入会時から自分のルールとして決めているのが、自分の人脈を紹介する“外部リファーラル”を常に出すということ。「目に見えて売上が上がること、つまりリファーラルや売上ありきがBNIという組織において大事なことなのかな、と感じています」。

ちなみに、今回の16名の招待以前に、井上さんはビジターを招待したことがないという。人脈がないわけではない。むしろ強く太い人脈を有している。ただ、まずはリファーラルという日常の延長線上でできることをやってきただけ。それでも今回の16名招待は仲間の表彰を見たこと、そして「メンバーやクライアントに、自分を知ってもらうことに注力し、重点的にお伝えしたかったのもあります」。

カテゴリーは「補助金申請活用」。デジタルマーケティングの会社『株式会社HERO’S』の代表取締役を務める井上さんの生い立ちも職歴も異質であるからこそ、自分のビジビリティ(視認性)を高めることがクレディビリティ(信頼性)につながると考え、今回の招待に至ったのだ。

高校を1年で中退してから、国会議員の秘書を務め、起業するまでのストーリー。デジタルマーケティングの会社が補助金活用申請をする意味。自身が有している人脈。
協業先、取引先、仲間、そしてメンバーに「井上大祐」という人間を知ってもらうことで、距離感は近づく。

トレーニングを受講することで発表できる資格を得られるメインプレゼンテーション(※2)ほど、ビジターを招待しやすいタイミングはない。自分を知ってもらい、理解してもらうことが、自分の売上そしてメンバーの人脈紹介のしやすさに直結する。

「メインプレゼンテーションのトレーニングもそうですが、BNIが提供しているトレーニングはビジネスマインドやクリティカル・ロジカルシンキング、マーケティングなど充実していると思いますから、受講した方がいいと思いますよ」。

※1 リファーラル = 各メンバーが提供する商品やサービスの購入を検討している人を見つけ、ビジネスチャンスを与えるための機会。
・内部リファーラルとは、自分が他のメンバーの商品やサービスの提供を受けること。
・外部リファーラルとは、自分の人脈の中で、メンバーにとってニーズがありビジネスチャンスになる、そしてその紹介先にもニーズがある方を紹介すること。

※2 メインプレゼンテーション = BNIのチャプターミーティングにおいて、通常は約1分間の間で自身のビジネスについてプレゼンテーションする時間を与えられているが、トレーニングを受けた人は自身のビジネスについて5~10分間話す時間を与えられる。ローテーションで毎週1~2人のメンバーが話す機会を得ている。

2021/06/22

Givers Gain®は、ビジネスによる売上拡大だけでなく、ビジネスのあり方を考えるための最良の方法です。だからこそBNIはこの言葉をコアバリューとしています。世界各国を見渡せば、文化の違いで“Give = 与えること”の捉え方は変わります。ある土地ではネガティブに捉えることもあります。しかしビジネスにおいては、場所も文化も関係なくポジティブな力となるのです。

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2021/06/15

富本千智さん
BNI
ナインダーツ
(大阪高槻河北東)

BNIビデオコンテストで優秀作品に選ばれたとき、富本さんの心の中で叫んだ言葉は「ありがとう」、そして「自分の所属している大阪高槻河北東リージョンが有名になるといいな」、そして「高須英治エグゼクティブディレクターに恩返しができた」だった。

 

「認められない」から「負けない」への道のり

彼女は小さい頃から自分を認めることはなかった。何かで賞を取って賞状を持って帰って見せても親は喜んでくれない。いつしか賞状も見せなくなり、もっと上がある、と自分に言い聞かせ続けていた。
「ずっとスポ根のような、這い上がってやる的な生き方をしていたと思います」
青森県から大阪の調理学校に進み、就職した先は昼出社、翌朝退社の過酷な現場だった。いったん料理の世界から離れようと百貨店で働いていたが、先輩から誘われてリゾートホテルでのバイトを始めることになる。職場だった長野県の高原リゾートホテルで開催していたのは、宿泊者向けのカメラ教室。彼女は宿泊者に帯同する役割を担っていたが、そのときに宿泊客から熱弁を振るわれることになる。「何か写真が楽しそう」と、自分も一眼レフを購入し、休憩の合間に撮影を楽しむようになった。 自身でも予期せぬ展開で、富本さんはカメラの世界へ足を踏み入れることになったのだ。

度肝を抜かれた事業者たちの朝活

大阪に帰ると真っ先に検索サイトで「大阪 カメラ 未経験」と打ち込んだ。ヒットした写真スタジオで働き始めたのが22歳のときだった。26歳で結婚、同時にマタニティ専門の写真スタジオを経営し、そして出産。娘が3歳のとき、30歳でBNIナインダーツチャプターに入会する。
「実は説明されたんですがよく覚えていなくて、BNIってここにしかないものだと思っていたんですよ(笑)」。
現場でよく一緒になる動画カメラマンから唐突に「つながりたい人はいる?」と質問されたのがきっかけだった。ヘアメイクアーティストや税理士を紹介してもらうこととなる。
「最初はいきなり何なんだ? って思いましたが、紹介もしてくださるし、何ていい人なんだろう、って純粋に思っていました(笑)」。そしてビジターとして参加したミーティングに度肝を抜かれた。暗転すると動画が流れ、ピンスポットでプレジデントが説明をする、そして全員カンペなしでプレゼンテーション。
「演出もプレゼンも素晴らしくて、できる事業者は違う、ここにいたら自分も成長できる、と入会を決めたんです」。

活用ではなく活動でしかなかった

入会はしたものの、緊張癖があってプレゼンを失敗しては一人車の中で落ち込むような日々が続く。
「それに自分がカメラマンとしてできているかどうかもわからない、という悩みもあったんです」
本来ならばスポ根で這い上がるような性格も、経営の浮き沈み、さらには娘のことなど、背負うものが多くなっていった彼女は悲観的になっていた。そんな頃に訪れたのが、半年ごとに交代する、チャプターを運営する側に立つ役職。ちょうどメンバーも減少しており、何をしても好転しない時が過ぎていた。
「もはやBNIが活用ではなく単なる活動になっていた時期でした」
役職が終わる頃に写真スタジオを閉鎖、ブライダル撮影の会社に面接にも行った。そのとき言われたのが「うち以外で受注する仕事は受けないで」。それはBNIも辞めなければいけないという意味と同義。そこで、高須英治エグゼクティブディレクターに相談を持ちかけた。

認める、褒めることの大切さを知る

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2021/06/08

BNIを創立し、現在ビジョナリーオフィサーを務めているアイヴァン・マイズナー博士が上梓した『THE CONNECTOR EFFECT』には、新規顧客を最短距離で獲得する方法が、簡潔に記されている。その一部を少し見てみよう。

あなたが現在、新規顧客を獲得している方法は一体どういうものだろう? テレアポや飛び込み営業、広告宣伝などもあるが、実は身近なところに存在している。例えばアポイントで待たされているとき、電話の会話が耳に入ったとき、誰かが何かで悩んでいるとき。普段の生活の中にマーケティングは存在している。そして、マーケティングにおける必須条件こそが人脈であり、人脈構築を極める人を「マスターコネクター」とこの著書では呼んでいる。

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2021/05/31

佐藤達樹さん
BNI Millenio

(東京N.E.)
カテゴリー:訪問看護

1983年福島県いわき市生まれ。高校を卒業後は接着剤メーカーに営業職として入社、その後葬儀社に転職し、10年後『株式会社はな』を設立。2015年BNI Millenioチャプターに入会。

人間力を学べる営業職からキャリアがスタート

現在スタッフ300名、20の業態と33の事業所を構える、訪問看護の佐藤達樹さん。これはたった6年で、BNIを活用して4人のスタッフからこの規模まで事業が拡大したストーリー。

佐藤さんは根っからの営業マン。「できる営業は何でも売れます。昔、本で読んだ中に『最強の営業マンはアメリカ大統領』というのがあって、確かに1年をかけてアメリカ全土に売り込んでいくのは営業マンとして究極だな、って。そういった、営業職を通じての人間力を学びたいと思ったんです」。そこで、接着剤メーカーで営業職として2年を過ごした後、葬儀社に勤めることに。「妻の祖母の葬儀に参列した際、こういうのも変ですが葬儀社の方々が生き生きとして仕事をされていまして」。メーカー営業の時代からいずれ独立を、と考えていた佐藤さん、これから進む高齢化社会を見据えたときに事業展開の規模も鑑みると葬儀社に将来性を感じ、転職を果たす。「葬儀とはお金がかかるものです。しかしお客さまが納得すれば高いと思わず、その価値を感じてくれるのです」。事実、営業成績はずば抜けて高く、10年後には副社長にも上り詰めていく。しかし佐藤さんの独立の意思は強く、2015年4月に4人のスタッフで『株式会社はな』を立ち上げることになる。

BNIの仕組みを会社運営に活用

その頃であったのがBNIだった。2日前に出会った人から突然、チャプター発足の招待状が届いたのだ。ビジターとして参加し、そのまま入会する。「葬儀社は紹介が多いよ、と言われて入会したのですが、来なかったですね。これは紹介がないのを人のせいにしていたからだと思います」。

既に葬儀社のスタッフは15名になっており、葬儀以外の関連する事業もスタートしていた。その一つが訪問看護。当時は看護師の確保が難しく、苦戦していたのだ。「葬儀事業はうまくいっているでしょ? BNIは苦戦している事業を伸ばすためのものだよ」メンバーからそう言われたのがきっかけで、2年目からはカテゴリーを葬儀から訪問介護に変更することとなった。

3年目。スタッフは40名になり、佐藤さんのBNIに対するマインドも大きく変化していた。いわゆる“ギバー”のマインドで接するようになっていたのだ。「先にギブする(与える)のが大事だということです。それは自分の仕事のスタンスにもなっていきました」。実際にBNIの仕組みを会社運営に取り入れることで、社内の採用もリファーラル(紹介)採用が9割に達したという。佐藤さんの会社は事業を多角的に行っており、社内リファーラル推進も掲げたことで、相乗効果も生まれていった。看護職の離職率は一般的に50%とされている中、佐藤さんの会社は何と3%という驚異の数字。「皆さんは、会社の良いところも悪いところも全部理解した上で入社してくださっています。それに、この会社は学ぶことができる場所、という認識を持ってもらっています。社員の定着は給料だけではなく、成長できる場、誰かの役に立てるという実感を持つことができる場、という点も大きいのではないでしょうか」。

人の成長の根底にあるのはBNIのマインド

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2021/05/24

【BNIマスターコネクターのご紹介】

2021年4月1日〜4月30日の1ヶ月間で、なんと22名ものビジターをご招待した佐藤麻衣さん(東京港中央 スタンダード)にインタビューしました!

佐藤さんは、19歳で福島県から上京し、芸人活動をしている時に「掃除のお仕事」に出会いました。それから24歳まで某大手フランチャイズで修行し、2016年3月、25歳で「掃除で世直し」を掲げて株式会社ピンクスター(清掃業、ネズミ駆除事業、消毒・除菌事業)を設立しました。

独立時は「えっ、現場に女性が来るんですか?不安です。」と、初見でハンデがあったそうです。また、「儲からない掃除の事業なんてやめた方が良いですよ。」と周りや同業の方々に言われとてもショックを受けたこともありました。そんな経験を通じて、「絶対に掃除業界の風雲児になる」と、誇りを持って仕事を続けてきました。
「ここまで来れたのは私を信じて応援してくれた仲間やお客様のおかげです。お仕事をさせていただいた際に『株式会社ピンクスターと出会えてよかった』と同業の仲間やお客様に言って頂けることがこのお仕事のやりがいになっています。」と語ります。

ビジターをご招待するときは、「相手に合わせて自然な感じで、日々仕事をしている仲間に声を掛けています。BNIの説明はミーティングに参加すればご理解いただけるでしょうから、私からは、いずれその方のビジネスで協業できそうなメンバーがいることをご案内しています。何よりチャプターのメンバーが大好きなので、好きな仕事の仲間をメンバーと引き合わせたいという純粋な気持ちが自然に招待につながっているのではないかと思います。」

「BNIに加入して、多角的に清掃サービスをやりながら、様々なリファーラル(仕事のご紹介)を頂くことで『様々な業種の方のお悩み』に気付ける機会をいただき、ビジネスの深みが増しました。
BNIは自分のビジネスと改めて向き合う機会をいただける場です。また、想いを言語化できる場所かと思います。
メンバーの人生を知ることにより、心動かされる瞬間が沢山あります。Zoom上の1to1で密かに何度も泣いています。BNIのメンバーは家族や友人とも違う、運命共同体的な(笑)大切な仲間です。」

2021/05/19

北海道から沖縄まで81名がオンライン参加

パンデミックの環境下でもBNIのリファーラルマーケティングの勢いは止まることを知らない。コロナ禍においても新たなメンバーが揃い、日本最大81名のチャプターが誕生したのがその証左だろう。

「BNI Rising-Jオンライン(港中央)チャプター」

その名の通り、オンライン上のみでビジネスを交わし合うチャプターだが、その内容が驚異的だった。メンバーは北海道から沖縄までとまさに全国から81名ものメンバーが集結。通常は36名でスタートを切るもので、これまでの最高人数も沖縄県での61名だったのだから、その数字がどれほどのモノか推して知るべし、である。

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2021/05/10

今年4月にBNIジャパンは創立15周年を迎えました。15周年を記念して、大野ナショナルディレクター(ND)に特別インタビューを企画。現在の心境、印象に残っているエピソード、これからのBNIジャパンなどについて話を聴きました。

創立15周年、まずは現在の率直なご感想をお聞かせください。

10周年のときもそうでしたが、一つの区切りとして振り返るとても良い機会になりました。改めて、いろいろな人たちに「感謝」という思いが湧きます。

しかし、当初、私が考えていた「1万人メンバー」というマイルストーンをクリアするタイミングとしては、思っていたより時間がかかったという感じですね。なぜそう思ったかというと、私がロンドンでBNIメンバーだった頃、イギリスのBNIは創立10〜13年くらいでしたが、すでに1万人を超えていたんですね。ですから、10年くらいで1万人行くのかなとイメージしていました。そういう意味では5年遅れましたが、イギリスは日本の人口の約半分ですから日本で1万人は必ず行くと確信していましたし、通過点であることは間違いないと思っていました。

そもそも、どうしてBNIを日本に導入しようと思われたのですか?

やはり、自分がメンバーとして恩恵を得られていたからですね。実は、最初は半信半疑でBNIメンバーをロンドンでスタートしているわけですけど、1年を過ぎたあたりから「これはすごいな」と思い始めました。そして、2年経ったくらいでその思いが頂点に達した。そのタイミングで聞いてみたんですね、BNIが日本にあるのか、と。イギリスでは答えが得られなかったので、マイズナー博士にSNSを通じて質問してみたら、スカイプで時間をとってくださって。そこで「日本にはまだない」と言われて、何でないのか質問したら「任せられる人に今まで出会ってなかった」と。

当時の私は、自分以外の日本人が(BNIを知らないことで)みんな損をしていると思っていました。私が何もしなくても、誰かがいつかは日本に伝えてくれるだろうと思いましたが、それはいつになるかはわからないですよね。そう思ったとき、自分で何かやらないといけないと思ったし、自分がやっていた本業のインターネットサービスの仕事と比べて、より大きなやり甲斐や可能性を感じました。ビジネスを通じて、より多くの人の役に立てると思ったんですよね。

大野NDにとって、BNIの何が特によかったのですか?

リファーラルから売上になりましたし、売上の9割がBNIからで、私の営業の数字のほとんどがBNIになっていきました。最初の頃、私のビジネスパートナーに文句を言われていて。「何お前、時間を無駄にして。人様の会社の営業なんてしていないで、自分の会社の営業をしろよ」とかね。「やってるよ!」と思ったんですが、まだリファーラルをもらえてなくて何も言い返せませんでした。ですが、半年くらい経った頃には何も言わなくなりました。逆に、「こんな人いないか? 紹介してくれ」と言ってくるようになっていましたよ。

それと、私は会社創業から間もないときに入会しました。チャプター内にはビジネスの専門家が揃っていたので、ビジネスの相談に乗ってもらって(会社発展のための)時間の節約になったし、ものすごい心の支えになってもらいました。例えば、事業をAからBまで成長させるのに、BNIメンバーでなければ、少なくとも3〜5倍、もしかしたら10倍の時間が掛かったんじゃないかとさえ思いました。精神的にも助かったし、会社としても助かりました。メンバーとしての経験では、この2つがとても大きいですね。

15年間で特に思い出に残っているエピソードを教えてください。

数えあげたらキリがないですよね(笑)。順番はつけられないのですが、印象に残っているという意味では、マイズナー博士との会話です。博士は覚えていらっしゃらないと思うんですけど、私は、きっとそういう返事が来ると覚悟を持って意図的に話をしました。何かというと「日本のBNIがアメリカのそれよりも、いつか大きくなる日が来ると思っています」と話をしたんです。そうしたら彼は「それはちょっと非現実的だね……。でも本当に、日本は今よりももっと大きくなるよね!」と。ある意味、ネガティブな返事です。そこまで達成することはないだろうという前提の返事ですので。でも、「しめしめ」と思いました。何かというと、自分にとっていいものをいただけたので、これが励みになるというか、「絶対にやってやる!」と改めて思えた(笑)。だから、本当にありがたいです。

日本の目標はメンバー数15万人です。現在の15倍、そして他国で15万人達成した国はないです。アメリカも8万人くらいだし、現在のアメリカのおよそ倍です。競争することに意義があるわけではないですし、ひとつの相対的ものさしに過ぎないですが、ワクワクしますよね。

現在、1万人なので「何を言っているんだろう」と思う人もいると思いますが、私は真面目に思っていますし、確信しています「絶対、いける」と。

大きな事業をされている方のお話を聞くと、みなさん確信を持っていらっしゃいます。大野NDも同じですね。

そこは大事ですね。「なんでそんな馬鹿げたこと」と怒り出す人もいますし、鼻で笑われることもあると思うのですが、動じないんですよね、周りの声に。

その信念はどこから来るのでしょうか?

もともと自分がBNIメンバーをやっていたことは大きいですよね。さらに、BNIが常に進化していることを、この19年間見てきているからですね。この進化はメンバーの皆さんにはわかりにくいかもしれないですが、ものすごいスピードで変化しているんですよ。ですから、ナショナルオフィスでは進化に追いつくのが大変なんですね、どうしても全てのコンテンツを日本語に翻訳するなどローカライズをしないといけませんので。このスピードは年々、速くなっている感覚です。

話は変わりますが、大野NDにとって今思い出しても恥ずかしいエピソードがありましたら教えてください。

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2021/05/06

2020年、動画コンテンツが再注目を集めた年はないのではないでしょうか。メディアも個人も企業も、昨年来動画コンテンツ制作に力を入れています。自らが外に出て発信できない分、動画というコンテンツはブランディングやイメージアップを図っていけるツールとして活用されたのでしょう。このBNIでも同じで、福岡東と筑後のリージョンでは秀逸な、世界中のBNIにおいても引けを取らないレベルのPVを作成しました。まずはその動画をご覧ください。

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2021/04/28

2,200名超が参加!

“ピンチがチャンスになる”
BNIナショナルカンファレンス2021

 

全国のビジネスパーソンが2,211名! 2021年4月12日にオンラインで開催された「BNIナショナルカンファレンス2021」は、今回のテーマでもある“Rebuild the World”(世界を再構築)に違わない、とても充実した内容が目白押しのイベントとなりました。

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2021/04/27

【BNIマスターコネクターのご紹介】

“人脈の達人”とも言うべく、マスターコネクター。
「多くの人々をつないでビジネスを紹介し、仲間を助けながら強固な信頼関係を築いていく」池田浩二さんに、マスターコネクターになる秘訣を伺いました。

池田浩二さん(名古屋北リージョン 金シャチBNIチャプター)はBNIに加入して12年。毎月15〜20件のリファーラルをコンスタントに提供されています。

池田さんは一級建築士であり、商業施設などの設計・デザイン・施工・監理のみならず、店舗の新規出店における事業企画書、資金繰り、テナント探しをはじめトータルにお客様をフォローされています。

そんな池田さんですが、はじめの3年間は、ビジター招待は年に3〜5名。そのうちBNIに加入されたのは3名だったそうです。
「当初は、一級建築士だったのもあり、“待っていれば仕事はお客様から依頼があるもの”という、BNIとは真逆の考え方をしていましたし、ビジターをご招待するのもあまり得意では無かったんです」

ところが、3年後、転機が訪れます。
「チャプターの中で重要な役割に就き、トレーニングに行ったり、いろんなディレクターの指導を受けたり、他のチャプターと交流する中で気がつきました。大事なのは、加入してくれる人を探すのではなく、僕がやっている大好きなBNIを正しく知ってもらうことだったんです。加入するかしないかは相手が決めること。そう思えるようになって肩の力が抜けたのと同時に、自分のチャプターのことだけ考えていてもダメだ、名古屋全体でビジネスを盛り上げないと。そんな気持ちが芽生えていきました」

5期目にプレジデントを務め、金シャチBNIチャプターは、BNIジャパンで初めて50名以上のメンバーを擁するプラチナチャプターへと成長します。知名度も信頼度も上がり、「一級建築士の池田に相談すれば何でも解決する。信頼できる人を紹介してもらえる」と思ってもらえるようになりました。

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