2021/06/29

【BNIマスターコネクターのご紹介】

「4月に同じチャプターのメンバーが表彰されたのをSNSで見て、それ以上のビジターを招待しようと思ったんです」。5月1~31日の一カ月間で、16名のビジターを招待したことで6月度の表彰を受けた。

“人脈の達人”とも言えるマスターコネクター。BNI DIANAの井上大祐さんは、今年3月に入会したばかり。実は前任者がいたのだが、会社を辞めてしまったために自分が代わりに入会した。元々BNI外で、DIANAのメンバーとは知り合っており、いつかはBNIに…という思いがあったという。
「スタートアップや5人以下の企業は人脈を作ることが売り上げに直結します。BNIはそのシステムが確立されています。だから入会すればその月から売上は上がるのかなと思っていました」。

実際に井上さんは入会後すぐに売上を上げており、売上につながるリファーラル(※1)(ビジネスにつながる人脈紹介)も毎週のように提供、入会3カ月ながら既に多大な貢献を行っている。「日々の行為がそのままリファーラルになっているだけですよ」というが、入会時から自分のルールとして決めているのが、自分の人脈を紹介する“外部リファーラル”を常に出すということ。「目に見えて売上が上がること、つまりリファーラルや売上ありきがBNIという組織において大事なことなのかな、と感じています」。

ちなみに、今回の16名の招待以前に、井上さんはビジターを招待したことがないという。人脈がないわけではない。むしろ強く太い人脈を有している。ただ、まずはリファーラルという日常の延長線上でできることをやってきただけ。それでも今回の16名招待は仲間の表彰を見たこと、そして「メンバーやクライアントに、自分を知ってもらうことに注力し、重点的にお伝えしたかったのもあります」。

カテゴリーは「補助金申請活用」。デジタルマーケティングの会社『株式会社HERO’S』の代表取締役を務める井上さんの生い立ちも職歴も異質であるからこそ、自分のビジビリティ(視認性)を高めることがクレディビリティ(信頼性)につながると考え、今回の招待に至ったのだ。

高校を1年で中退してから、国会議員の秘書を務め、起業するまでのストーリー。デジタルマーケティングの会社が補助金活用申請をする意味。自身が有している人脈。
協業先、取引先、仲間、そしてメンバーに「井上大祐」という人間を知ってもらうことで、距離感は近づく。

トレーニングを受講することで発表できる資格を得られるメインプレゼンテーション(※2)ほど、ビジターを招待しやすいタイミングはない。自分を知ってもらい、理解してもらうことが、自分の売上そしてメンバーの人脈紹介のしやすさに直結する。

「メインプレゼンテーションのトレーニングもそうですが、BNIが提供しているトレーニングはビジネスマインドやクリティカル・ロジカルシンキング、マーケティングなど充実していると思いますから、受講した方がいいと思いますよ」。

※1 リファーラル = 各メンバーが提供する商品やサービスの購入を検討している人を見つけ、ビジネスチャンスを与えるための機会。
・内部リファーラルとは、自分が他のメンバーの商品やサービスの提供を受けること。
・外部リファーラルとは、自分の人脈の中で、メンバーにとってニーズがありビジネスチャンスになる、そしてその紹介先にもニーズがある方を紹介すること。

※2 メインプレゼンテーション = BNIのチャプターミーティングにおいて、通常は約1分間の間で自身のビジネスについてプレゼンテーションする時間を与えられているが、トレーニングを受けた人は自身のビジネスについて5~10分間話す時間を与えられる。ローテーションで毎週1~2人のメンバーが話す機会を得ている。

2021/06/22

Givers Gain®は、ビジネスによる売上拡大だけでなく、ビジネスのあり方を考えるための最良の方法です。だからこそBNIはこの言葉をコアバリューとしています。世界各国を見渡せば、文化の違いで“Give = 与えること”の捉え方は変わります。ある土地ではネガティブに捉えることもあります。しかしビジネスにおいては、場所も文化も関係なくポジティブな力となるのです。

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2021/06/15

富本千智さん
BNI
ナインダーツ
(大阪高槻河北東)

BNIビデオコンテストで優秀作品に選ばれたとき、富本さんの心の中で叫んだ言葉は「ありがとう」、そして「自分の所属している大阪高槻河北東リージョンが有名になるといいな」、そして「高須英治エグゼクティブディレクターに恩返しができた」だった。

 

「認められない」から「負けない」への道のり

彼女は小さい頃から自分を認めることはなかった。何かで賞を取って賞状を持って帰って見せても親は喜んでくれない。いつしか賞状も見せなくなり、もっと上がある、と自分に言い聞かせ続けていた。
「ずっとスポ根のような、這い上がってやる的な生き方をしていたと思います」
青森県から大阪の調理学校に進み、就職した先は昼出社、翌朝退社の過酷な現場だった。いったん料理の世界から離れようと百貨店で働いていたが、先輩から誘われてリゾートホテルでのバイトを始めることになる。職場だった長野県の高原リゾートホテルで開催していたのは、宿泊者向けのカメラ教室。彼女は宿泊者に帯同する役割を担っていたが、そのときに宿泊客から熱弁を振るわれることになる。「何か写真が楽しそう」と、自分も一眼レフを購入し、休憩の合間に撮影を楽しむようになった。 自身でも予期せぬ展開で、富本さんはカメラの世界へ足を踏み入れることになったのだ。

度肝を抜かれた事業者たちの朝活

大阪に帰ると真っ先に検索サイトで「大阪 カメラ 未経験」と打ち込んだ。ヒットした写真スタジオで働き始めたのが22歳のときだった。26歳で結婚、同時にマタニティ専門の写真スタジオを経営し、そして出産。娘が3歳のとき、30歳でBNIナインダーツチャプターに入会する。
「実は説明されたんですがよく覚えていなくて、BNIってここにしかないものだと思っていたんですよ(笑)」。
現場でよく一緒になる動画カメラマンから唐突に「つながりたい人はいる?」と質問されたのがきっかけだった。ヘアメイクアーティストや税理士を紹介してもらうこととなる。
「最初はいきなり何なんだ? って思いましたが、紹介もしてくださるし、何ていい人なんだろう、って純粋に思っていました(笑)」。そしてビジターとして参加したミーティングに度肝を抜かれた。暗転すると動画が流れ、ピンスポットでプレジデントが説明をする、そして全員カンペなしでプレゼンテーション。
「演出もプレゼンも素晴らしくて、できる事業者は違う、ここにいたら自分も成長できる、と入会を決めたんです」。

活用ではなく活動でしかなかった

入会はしたものの、緊張癖があってプレゼンを失敗しては一人車の中で落ち込むような日々が続く。
「それに自分がカメラマンとしてできているかどうかもわからない、という悩みもあったんです」
本来ならばスポ根で這い上がるような性格も、経営の浮き沈み、さらには娘のことなど、背負うものが多くなっていった彼女は悲観的になっていた。そんな頃に訪れたのが、半年ごとに交代する、チャプターを運営する側に立つ役職。ちょうどメンバーも減少しており、何をしても好転しない時が過ぎていた。
「もはやBNIが活用ではなく単なる活動になっていた時期でした」
役職が終わる頃に写真スタジオを閉鎖、ブライダル撮影の会社に面接にも行った。そのとき言われたのが「うち以外で受注する仕事は受けないで」。それはBNIも辞めなければいけないという意味と同義。そこで、高須英治エグゼクティブディレクターに相談を持ちかけた。

認める、褒めることの大切さを知る

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2021/06/08

BNIを創立し、現在ビジョナリーオフィサーを務めているアイヴァン・マイズナー博士が上梓した『THE CONNECTOR EFFECT』には、新規顧客を最短距離で獲得する方法が、簡潔に記されている。その一部を少し見てみよう。

あなたが現在、新規顧客を獲得している方法は一体どういうものだろう? テレアポや飛び込み営業、広告宣伝などもあるが、実は身近なところに存在している。例えばアポイントで待たされているとき、電話の会話が耳に入ったとき、誰かが何かで悩んでいるとき。普段の生活の中にマーケティングは存在している。そして、マーケティングにおける必須条件こそが人脈であり、人脈構築を極める人を「マスターコネクター」とこの著書では呼んでいる。

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2021/05/31

佐藤達樹さん
BNI Millenio

(東京N.E.)
カテゴリー:訪問看護

1983年福島県いわき市生まれ。高校を卒業後は接着剤メーカーに営業職として入社、その後葬儀社に転職し、10年後『株式会社はな』を設立。2015年BNI Millenioチャプターに入会。

人間力を学べる営業職からキャリアがスタート

現在スタッフ300名、20の業態と33の事業所を構える、訪問看護の佐藤達樹さん。これはたった6年で、BNIを活用して4人のスタッフからこの規模まで事業が拡大したストーリー。

佐藤さんは根っからの営業マン。「できる営業は何でも売れます。昔、本で読んだ中に『最強の営業マンはアメリカ大統領』というのがあって、確かに1年をかけてアメリカ全土に売り込んでいくのは営業マンとして究極だな、って。そういった、営業職を通じての人間力を学びたいと思ったんです」。そこで、接着剤メーカーで営業職として2年を過ごした後、葬儀社に勤めることに。「妻の祖母の葬儀に参列した際、こういうのも変ですが葬儀社の方々が生き生きとして仕事をされていまして」。メーカー営業の時代からいずれ独立を、と考えていた佐藤さん、これから進む高齢化社会を見据えたときに事業展開の規模も鑑みると葬儀社に将来性を感じ、転職を果たす。「葬儀とはお金がかかるものです。しかしお客さまが納得すれば高いと思わず、その価値を感じてくれるのです」。事実、営業成績はずば抜けて高く、10年後には副社長にも上り詰めていく。しかし佐藤さんの独立の意思は強く、2015年4月に4人のスタッフで『株式会社はな』を立ち上げることになる。

BNIの仕組みを会社運営に活用

その頃であったのがBNIだった。2日前に出会った人から突然、チャプター発足の招待状が届いたのだ。ビジターとして参加し、そのまま入会する。「葬儀社は紹介が多いよ、と言われて入会したのですが、来なかったですね。これは紹介がないのを人のせいにしていたからだと思います」。

既に葬儀社のスタッフは15名になっており、葬儀以外の関連する事業もスタートしていた。その一つが訪問看護。当時は看護師の確保が難しく、苦戦していたのだ。「葬儀事業はうまくいっているでしょ? BNIは苦戦している事業を伸ばすためのものだよ」メンバーからそう言われたのがきっかけで、2年目からはカテゴリーを葬儀から訪問介護に変更することとなった。

3年目。スタッフは40名になり、佐藤さんのBNIに対するマインドも大きく変化していた。いわゆる“ギバー”のマインドで接するようになっていたのだ。「先にギブする(与える)のが大事だということです。それは自分の仕事のスタンスにもなっていきました」。実際にBNIの仕組みを会社運営に取り入れることで、社内の採用もリファーラル(紹介)採用が9割に達したという。佐藤さんの会社は事業を多角的に行っており、社内リファーラル推進も掲げたことで、相乗効果も生まれていった。看護職の離職率は一般的に50%とされている中、佐藤さんの会社は何と3%という驚異の数字。「皆さんは、会社の良いところも悪いところも全部理解した上で入社してくださっています。それに、この会社は学ぶことができる場所、という認識を持ってもらっています。社員の定着は給料だけではなく、成長できる場、誰かの役に立てるという実感を持つことができる場、という点も大きいのではないでしょうか」。

人の成長の根底にあるのはBNIのマインド

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2021/05/24

【BNIマスターコネクターのご紹介】

2021年4月1日〜4月30日の1ヶ月間で、なんと22名ものビジターをご招待した佐藤麻衣さん(東京港中央 スタンダード)にインタビューしました!

佐藤さんは、19歳で福島県から上京し、芸人活動をしている時に「掃除のお仕事」に出会いました。それから24歳まで某大手フランチャイズで修行し、2016年3月、25歳で「掃除で世直し」を掲げて株式会社ピンクスター(清掃業、ネズミ駆除事業、消毒・除菌事業)を設立しました。

独立時は「えっ、現場に女性が来るんですか?不安です。」と、初見でハンデがあったそうです。また、「儲からない掃除の事業なんてやめた方が良いですよ。」と周りや同業の方々に言われとてもショックを受けたこともありました。そんな経験を通じて、「絶対に掃除業界の風雲児になる」と、誇りを持って仕事を続けてきました。
「ここまで来れたのは私を信じて応援してくれた仲間やお客様のおかげです。お仕事をさせていただいた際に『株式会社ピンクスターと出会えてよかった』と同業の仲間やお客様に言って頂けることがこのお仕事のやりがいになっています。」と語ります。

ビジターをご招待するときは、「相手に合わせて自然な感じで、日々仕事をしている仲間に声を掛けています。BNIの説明はミーティングに参加すればご理解いただけるでしょうから、私からは、いずれその方のビジネスで協業できそうなメンバーがいることをご案内しています。何よりチャプターのメンバーが大好きなので、好きな仕事の仲間をメンバーと引き合わせたいという純粋な気持ちが自然に招待につながっているのではないかと思います。」

「BNIに加入して、多角的に清掃サービスをやりながら、様々なリファーラル(仕事のご紹介)を頂くことで『様々な業種の方のお悩み』に気付ける機会をいただき、ビジネスの深みが増しました。
BNIは自分のビジネスと改めて向き合う機会をいただける場です。また、想いを言語化できる場所かと思います。
メンバーの人生を知ることにより、心動かされる瞬間が沢山あります。Zoom上の1to1で密かに何度も泣いています。BNIのメンバーは家族や友人とも違う、運命共同体的な(笑)大切な仲間です。」

2021/05/19

北海道から沖縄まで81名がオンライン参加

パンデミックの環境下でもBNIのリファーラルマーケティングの勢いは止まることを知らない。コロナ禍においても新たなメンバーが揃い、日本最大81名のチャプターが誕生したのがその証左だろう。

「BNI Rising-Jオンライン(港中央)チャプター」

その名の通り、オンライン上のみでビジネスを交わし合うチャプターだが、その内容が驚異的だった。メンバーは北海道から沖縄までとまさに全国から81名ものメンバーが集結。通常は36名でスタートを切るもので、これまでの最高人数も沖縄県での61名だったのだから、その数字がどれほどのモノか推して知るべし、である。

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2021/05/10

今年4月にBNIジャパンは創立15周年を迎えました。15周年を記念して、大野ナショナルディレクター(ND)に特別インタビューを企画。現在の心境、印象に残っているエピソード、これからのBNIジャパンなどについて話を聴きました。

創立15周年、まずは現在の率直なご感想をお聞かせください。

10周年のときもそうでしたが、一つの区切りとして振り返るとても良い機会になりました。改めて、いろいろな人たちに「感謝」という思いが湧きます。

しかし、当初、私が考えていた「1万人メンバー」というマイルストーンをクリアするタイミングとしては、思っていたより時間がかかったという感じですね。なぜそう思ったかというと、私がロンドンでBNIメンバーだった頃、イギリスのBNIは創立10〜13年くらいでしたが、すでに1万人を超えていたんですね。ですから、10年くらいで1万人行くのかなとイメージしていました。そういう意味では5年遅れましたが、イギリスは日本の人口の約半分ですから日本で1万人は必ず行くと確信していましたし、通過点であることは間違いないと思っていました。

そもそも、どうしてBNIを日本に導入しようと思われたのですか?

やはり、自分がメンバーとして恩恵を得られていたからですね。実は、最初は半信半疑でBNIメンバーをロンドンでスタートしているわけですけど、1年を過ぎたあたりから「これはすごいな」と思い始めました。そして、2年経ったくらいでその思いが頂点に達した。そのタイミングで聞いてみたんですね、BNIが日本にあるのか、と。イギリスでは答えが得られなかったので、マイズナー博士にSNSを通じて質問してみたら、スカイプで時間をとってくださって。そこで「日本にはまだない」と言われて、何でないのか質問したら「任せられる人に今まで出会ってなかった」と。

当時の私は、自分以外の日本人が(BNIを知らないことで)みんな損をしていると思っていました。私が何もしなくても、誰かがいつかは日本に伝えてくれるだろうと思いましたが、それはいつになるかはわからないですよね。そう思ったとき、自分で何かやらないといけないと思ったし、自分がやっていた本業のインターネットサービスの仕事と比べて、より大きなやり甲斐や可能性を感じました。ビジネスを通じて、より多くの人の役に立てると思ったんですよね。

大野NDにとって、BNIの何が特によかったのですか?

リファーラルから売上になりましたし、売上の9割がBNIからで、私の営業の数字のほとんどがBNIになっていきました。最初の頃、私のビジネスパートナーに文句を言われていて。「何お前、時間を無駄にして。人様の会社の営業なんてしていないで、自分の会社の営業をしろよ」とかね。「やってるよ!」と思ったんですが、まだリファーラルをもらえてなくて何も言い返せませんでした。ですが、半年くらい経った頃には何も言わなくなりました。逆に、「こんな人いないか? 紹介してくれ」と言ってくるようになっていましたよ。

それと、私は会社創業から間もないときに入会しました。チャプター内にはビジネスの専門家が揃っていたので、ビジネスの相談に乗ってもらって(会社発展のための)時間の節約になったし、ものすごい心の支えになってもらいました。例えば、事業をAからBまで成長させるのに、BNIメンバーでなければ、少なくとも3〜5倍、もしかしたら10倍の時間が掛かったんじゃないかとさえ思いました。精神的にも助かったし、会社としても助かりました。メンバーとしての経験では、この2つがとても大きいですね。

15年間で特に思い出に残っているエピソードを教えてください。

数えあげたらキリがないですよね(笑)。順番はつけられないのですが、印象に残っているという意味では、マイズナー博士との会話です。博士は覚えていらっしゃらないと思うんですけど、私は、きっとそういう返事が来ると覚悟を持って意図的に話をしました。何かというと「日本のBNIがアメリカのそれよりも、いつか大きくなる日が来ると思っています」と話をしたんです。そうしたら彼は「それはちょっと非現実的だね……。でも本当に、日本は今よりももっと大きくなるよね!」と。ある意味、ネガティブな返事です。そこまで達成することはないだろうという前提の返事ですので。でも、「しめしめ」と思いました。何かというと、自分にとっていいものをいただけたので、これが励みになるというか、「絶対にやってやる!」と改めて思えた(笑)。だから、本当にありがたいです。

日本の目標はメンバー数15万人です。現在の15倍、そして他国で15万人達成した国はないです。アメリカも8万人くらいだし、現在のアメリカのおよそ倍です。競争することに意義があるわけではないですし、ひとつの相対的ものさしに過ぎないですが、ワクワクしますよね。

現在、1万人なので「何を言っているんだろう」と思う人もいると思いますが、私は真面目に思っていますし、確信しています「絶対、いける」と。

大きな事業をされている方のお話を聞くと、みなさん確信を持っていらっしゃいます。大野NDも同じですね。

そこは大事ですね。「なんでそんな馬鹿げたこと」と怒り出す人もいますし、鼻で笑われることもあると思うのですが、動じないんですよね、周りの声に。

その信念はどこから来るのでしょうか?

もともと自分がBNIメンバーをやっていたことは大きいですよね。さらに、BNIが常に進化していることを、この19年間見てきているからですね。この進化はメンバーの皆さんにはわかりにくいかもしれないですが、ものすごいスピードで変化しているんですよ。ですから、ナショナルオフィスでは進化に追いつくのが大変なんですね、どうしても全てのコンテンツを日本語に翻訳するなどローカライズをしないといけませんので。このスピードは年々、速くなっている感覚です。

話は変わりますが、大野NDにとって今思い出しても恥ずかしいエピソードがありましたら教えてください。

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2021/05/06

2020年、動画コンテンツが再注目を集めた年はないのではないでしょうか。メディアも個人も企業も、昨年来動画コンテンツ制作に力を入れています。自らが外に出て発信できない分、動画というコンテンツはブランディングやイメージアップを図っていけるツールとして活用されたのでしょう。このBNIでも同じで、福岡東と筑後のリージョンでは秀逸な、世界中のBNIにおいても引けを取らないレベルのPVを作成しました。まずはその動画をご覧ください。

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2021/04/28

2,200名超が参加!

“ピンチがチャンスになる”
BNIナショナルカンファレンス2021

 

全国のビジネスパーソンが2,211名! 2021年4月12日にオンラインで開催された「BNIナショナルカンファレンス2021」は、今回のテーマでもある“Rebuild the World”(世界を再構築)に違わない、とても充実した内容が目白押しのイベントとなりました。

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2021/04/27

【BNIマスターコネクターのご紹介】

“人脈の達人”とも言うべく、マスターコネクター。
「多くの人々をつないでビジネスを紹介し、仲間を助けながら強固な信頼関係を築いていく」池田浩二さんに、マスターコネクターになる秘訣を伺いました。

池田浩二さん(名古屋北リージョン 金シャチBNIチャプター)はBNIに加入して12年。毎月15〜20件のリファーラルをコンスタントに提供されています。

池田さんは一級建築士であり、商業施設などの設計・デザイン・施工・監理のみならず、店舗の新規出店における事業企画書、資金繰り、テナント探しをはじめトータルにお客様をフォローされています。

そんな池田さんですが、はじめの3年間は、ビジター招待は年に3〜5名。そのうちBNIに加入されたのは3名だったそうです。
「当初は、一級建築士だったのもあり、“待っていれば仕事はお客様から依頼があるもの”という、BNIとは真逆の考え方をしていましたし、ビジターをご招待するのもあまり得意では無かったんです」

ところが、3年後、転機が訪れます。
「チャプターの中で重要な役割に就き、トレーニングに行ったり、いろんなディレクターの指導を受けたり、他のチャプターと交流する中で気がつきました。大事なのは、加入してくれる人を探すのではなく、僕がやっている大好きなBNIを正しく知ってもらうことだったんです。加入するかしないかは相手が決めること。そう思えるようになって肩の力が抜けたのと同時に、自分のチャプターのことだけ考えていてもダメだ、名古屋全体でビジネスを盛り上げないと。そんな気持ちが芽生えていきました」

5期目にプレジデントを務め、金シャチBNIチャプターは、BNIジャパンで初めて50名以上のメンバーを擁するプラチナチャプターへと成長します。知名度も信頼度も上がり、「一級建築士の池田に相談すれば何でも解決する。信頼できる人を紹介してもらえる」と思ってもらえるようになりました。

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2021/04/21

【BNIマスターコネクターのご紹介】

“人脈の達人”とも言うべく、マスターコネクター。
「多くの人々をつないでビジネスを紹介し、仲間を助けながら強固な信頼関係を築いていく」西川岳志さんに、マスターコネクターになる秘訣を伺いました。

西川岳志さん(東京N.E.リージョン GLOWINGオンライン(上野)チャプター)は、2020年を通じて多くのビジターを招待しました。

大手建設会社に長年勤務され、アメリカンフットボールの日本代表に選ばれた経験もある西川さんは、2020年から生命保険の退職金プランを中心にお客様の人生が豊かになるようなトータルコンサルティングを提供されています。

西川さんは、昨年一年間で50名以上の方をチャプターミーティングに招待し、そのうち20名の方が共にビジネスを成長させるBNIの仲間となりました。
なぜビジター招待をするのかと問うと、「仲間のためでもあり、自分のためでもあります」と西川さんは言います。
「1年や2年の成功ではなく、20年、30年と成功を継続させたい」
「BNIで2割の売り上げをあげるのではなく、8割あげる活動が出来れば自然とビジネスの質が良くなっていき、メンバー自身も成長していきます」

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2021/04/13

BNIは、BNI創立者のアイヴァン・マイズナー博士とベス・マイズナーによって設立された『BNI Foundation』の活動に支援および協力を行なっています。日本でも2015年に『一般財団法人BNI財団ジャパン』として、アイヴァン・マイズナー博士とBNIジャパンにより共同設立されました。

現在、こちらの財団で取り組んでいるのが「Catch Your Dream」と呼ばれる『公益社団法人ジュニアアチーブメント日本』が提供するプログラムです。BNIジャパンが協賛し、BNI財団がその活動を支援しています。社会人ボランティアの協力のもと、中学生や高校生に向けて将来の夢や仕事を描いてもらうことを支援するキャリア教育プログラムの一環です。

子どもたちは「大人になるって何だろう」と、漠然としたイメージを描いています。働くこと、目標を見つけること、大人になったときに直面する人生の問いに大人が自分の経験を元に答え、子どもたちには10年後20年後の未来をイメージしてアウトプットしてもらいます。

現在はオンラインでのプログラムになっており、生徒5人に対して大人が3人ほどで接しています。『一般財団法人BNI財団ジャパン』の代表理事  大野佳子さんは「このプログラムは子供たちが自分の価値観を知る機会にもなり、かつ他人の価値観を理解し、共感するきっかけにもなっていきます。子供たちの中には漠然と将来を描けていない子もいますし、中には、専業主婦(夫)を目指す子もいます。その子にとっては立派な社会人であり、それを求める価値観を持っている、ということでもあります。関わる大人たちも多様な価値観を理解するいい機会になると思いますよ」。

仕事を続けていると目の前のことに忙殺されて、自分が目標としていたことや、仕事を通じて成し遂げたいことなど、10年後の未来を忘れてしまっている人もいるのではないでしょうか。「Catch Your Dream」のプログラムは、生徒たちに自分の人生を伝えることで、再び自分の目標やビジョンを思い出させてくれる機会となるはずです。

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2021/04/08

菅 在根さん
BNI サンシャイン
(東京新宿)
カテゴリー:飲食サービス(
肉料理)

1979年東京都生まれ。高校を卒業後アルバイト先の人材派遣会社で派遣社員として働いたのち、その会社で正社員となって人材派遣業を学ぶ。26歳で独立して「株式会社ファクト」を設立。人材派遣業も営む傍ら、焼き肉店『李苑』をオープン。2013年にBNIサンシャインチャプターに入会。

実家の焼き肉店を再興したいという願い

昨年から続く新型コロナウイルスの影響で、飲食店によるテイクアウト事業は今や当たり前のビジネススタイルへと変化した。その流れをいち早くくみ取り取り組んだのが、BNIサンシャインチャプターの菅在根さん。2020年の自粛期間中に通販とテイクアウト事業をすぐに始めたところ、過去最高の売り上げとなったという。その背景にあったのは紛れもなくBNIメンバーの助けがあった。

菅さんは高校時代からバンド活動を始め、卒業後もメジャーデビューを目指してたが、ハードコア系というメジャーになりにくいジャンルだったため、22歳で脱退することを決意。実は、菅さんには秘かな夢があった。それは、高校生の頃まで実家が営んでいた焼き肉店を再興すること。その夢のためにはお金を貯めることが必須だった。バンド活動時代にバイトをしていた人材派遣会社で、24歳のときに正社員として雇用されたが、26歳のときにその会社が本社とたもとを分かち、分社化という状況に。このタイミングを見計らい、これまでの営業先を受け持ちつつ、分社化した会社を外部からサポートする形で独立を果たすこととなった。独立をしたのも、焼き肉店の再興という夢を持ち続けていたから。「サラリーマンではやりたいことができませんから」。そして5年後、とうとう再興への道筋が見えてきたのだ。

しかし、その年に起きたのは東日本大震災。世界が沈痛な面持ちになり、一旦休止せざるを得ない状況に。それでもいつでも始められるよう準備は進め、その1年後、32歳のときに実家の味を受け継いだ焼き肉店『李苑』を開店。母からノウハウを聞き、昔の味が復活したのだ。

マーケティングと集客をBNIで学ぶ

ただ、味は復活しても集客のノウハウはほぼなく、さまざまな広告を打っても響かない。考えあぐねること1年、菅さんはそこでBNIに出会うことになる。「経営者仲間も入会していましたし、一度ビジターで参加もして面白そうだとは思いましたが、朝が早いのが……」。飲食店は夜が遅い分、早朝の活動に二の足を踏んでしまう。それでも2回目に参加した際、入会を決めた。「最初に見学したチャプターの印象を持ってサンシャインチャプターに参加したら、まったくイメージが違っていたんです。明るいし躍動感があるし、パワーがみなぎっていました。それに同じ日にビジターで焼き肉店の方が別にいらっしゃって、ここで入らなければ損をする、と入会を決めました」。

実際、この決断が良い方向に転がっていった。メンバーも焼き肉店というカテゴリーは紹介しやすく、メンバーからの紹介はかなりの集客になったのだ。「マスメディア広告よりもコストパフォーマンスがいいですし、メンバーからの紹介ですから優良なお客様にいらっしゃっていただけました」。翌年には2店舗目、翌々年に3店舗目と、次々に店舗を拡大し、最大9店舗を構え約60人のスタッフを抱えるまでに成長を遂げていった。

しかし、急激な拡大にほころびも見え始めてきた。そこで不採算店舗はすべて売却、3店舗だけを残して「やり直そう」と再スタートを決める。それが、2020年1月の話。「今思えば運が良かった、と言えるかもしれません」。

BNIが支えてくれた過去最高の売り上げ

その直後、新型コロナウイルスで自粛の嵐。予約もイートインもない店舗を一旦閉め、1カ月間ビジネスを考えつくした。ここでひらめいたのがテイクアウトと通販だったのだ。実は拡大時に弁当屋も始めており、テイクアウトのノウハウを持っていたこと、通販事業も残したままでいたことが結果的にピンチの時のチャンスとなったのだ。「おうちで李苑」と銘打ち、通販事業をスタートさせたところ、BNIメンバーが率先して購入をしてくれた。そこから派生した売上もあり、最高売り上げを記録、今もなお売れ続けているという。テイクアウト事業も、店舗が単身者の多い新宿にあることと、焼肉と弁当の相性の良さから好評を博していった。

「この状況で一番助けてくれたのはBNIメンバーでした。これだけ支援してくれたのだから、今度は支援する側として、今テイクアウト事業で悩んでいらっしゃる方々に、成功の秘訣を惜しみなく伝えていこうと思っています。困っているときに本気で助けてくれる仲間がそばにいることの大事さを強く感じました」。危機的状況の中、どうビジネスを変化させるか。菅さんもイートインにこだわっていたらここまでの成果を得ることはできなかった。そのヒントをくれたのも、違う視点を持つ異業種の集まりであるBNIメンバーの声があったからに他ならないのである。

2021/03/29

BNI 奈良市京都南
吉田淳一さん

1977年宇治市生まれ。京都造形芸術大学卒業後、グラフィックデザインの会社に勤める傍らアーティスト・和太鼓奏者という顔を持ち活動。26歳で『JY DESIGN』を起業し、2014年にBNI新撰組チャプター入会。BNI京都セントラルリージョンにてアンバサダー、ディレクターを務める

ビジネスマンとアーティスト、そしてパフォーマーのトリプルフェイス

現在、奈良県に一つBNI DEERチャプターが存在していますが、リージョンとしてより多くのメンバーでビジネス拡大をしていこうと、「BNI奈良市・京都南リージョン」での立ち上げを開始しました。その重責を担っているのが吉田淳一さんです。グラフィックデザイナーとしてビジネスを行ない、そのカテゴリーでBNI新撰組チャプターに所属し、ディレクターも務めていましたが、吉田さんにはもう2つの顔がありました。造形アーティスト、そして和太鼓奏者という顔が。

パッケージデザインの会社でサラリーマンをしながらも、造形アーティスト活動を続けていた頃に大手芸能事務所から契約の話が。25歳だった当時は夢を追いかけ東京へ。しかし、東京の魅力に惹かれて昼夜逆転の生活になり、アーティスト活動もままならず、「自分は何がしたかったのだろう」と悩む日々。ちょうどその頃に一本の電話が。前職の会社から仕事の依頼だったのです。「そのとき、朝10時に集合と聞いたとき、『朝早いなぁ』と思ったくらい、生活リズムは崩れていました」。この打ち合わせでパンフレットの仕事をもらったとき、初めて気づきました。「あぁ、こういうきっちりと仕事をするほうが自分の性に合っている、と」。アーティスト活動は1年で終了、京都に戻りグラフィックデザイナーとして独立します。

もう一つ、大学時代から続けていたのが和太鼓でした。都合20年続けており、プロにも通じる腕前だったそうです。しかしデザイナーと和太鼓奏者、二足のわらじで生活している自分がどっちつかずになっている、ということに直面します。本気でどちらの道を進むか悩んだとき、自分の心に問いました。「今、自分がやりたいのは企業として成長することだと思ったんです」。そしてデザイナーとして一直線に進みます。そう思わせたのもBNIでの活動があるのかもしれません。

何も知らずに入会した後にわかったベネフィット

2014年にBNI新撰組チャプターに入会しますが、そのときは、たまたま自身のビジネスカテゴリーが空いていたからという理由で、メリットやベネフィットをさほど感じていなかったそうです。しかし2年後にはプレジデントの役を引き受けることに。このときBNIに参加する意義を感じたそうです。「メンバーが喜ぶことをする。これはお金では買えないものだと気付きました」。入会してからの6年間を振り返ってみると、自身のビジネスの約50%がメンバーからのリファーラルだったこともわかり、いつしか吉田さんにとってBNIは欠かせないものとなっていました。

新型コロナウイルスがさせた大きな決断

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2021/03/22

私は2020年の終わりに、自分のソーシャルメディアに次のようなユーモラスなグラフィックデザイン(上記画像)を掲載しました。

親愛なる2021年:私はあなたに面倒をかけたくありません。 ただ入ってきて、隅っこに座って、何も触らず、口を閉じていてください。

その通りだし、笑いを誘う表現ですが、この言葉には大切な裏の意味があります。 それは、「2020年から私たちは何を学んだのか」ということです。 この問いについて考えることが重要だと思います。 うまくいかないことに文句を言うのは簡単ですが、困難な状況においては、なかなかポジティブになれないものです。私は、人生の中で宝ものを見つけることが、成功して前進するための最良の方法だと信じています。

私は2020年から多くのことを学び、それは私にとって貴重な教訓となりました。 ここでは、私が2020年から得た7つの収穫を紹介します。

1. ニュースを過大視しない

私はニュースアプリから必要な情報を得て、何時間もニュースを見て問題に執着しないことを学びました。ネガティブなニュースはよく読まれるので、メディアはネガティブなニュースを伝える達人になっています(厳密には、実際のニュースと同じかそれ以上に、「意見」を伝えるようになっています)。

2. 貴重な教訓〜ある男性の気づき〜

ある男性は、仕事を続けることができたものの、自宅で仕事をしなければならず、さらに子供たちの世話をしたり学校の勉強を続けさせなければなりませんでした。 彼は、複数のタスクをこなさなくてはならない状況にストレスを感じていると言っていました。しかし、話しているうちに、彼は、幼い子どもたちとより充実した時間を過ごせるチャンスだと気付いたのです。 「大変な状況ではあるけれども、子どもたちにとっては、一緒に過ごした経験を懐かしく思い出す時間になるかもしれない。」この考えを受け入れたとき、彼の状況に対する見方は一変しました。 これは、子供を持つ多くの人に経験してほしい教訓でした。

3. 希望は恐怖に勝る

2020年には、多くの経営者が「恐怖心」を「集中力」で打ち負かすのを目のあたりにしました。 恐怖の中で希望を失いながらも、逆にその恐怖が集中力を与え、彼らは希望を持ち、嵐を乗り越えようとしました。 希望は恐怖よりも強力です。 希望とは、周りの人が「できない」と叫んでいるときに、「できる」とささやく自分の中の小さな声のことです。希望に加えて、計画、そして行動すれば、困難を乗り越えることができます。

4. 困難な時期には、ネットワークがあなたを支えてくれる

私は人々が精神的にも仕事上でもお互いに支え合っているのを見てきました。アイデアを出し合って、ビジネスを存続させ、成長させていたのです。 例えば、家具の張り替え屋さんがマスクの製造会社になったり、ビール工場が手指消毒液の会社になったりしました。

5. 困難な時期が終わるまで待っていたら、あなたのビジネスは終わってしまう

困難な時期には、これまで以上にネットワークが必要です。 ソーシャルディスタンス (社会的に距離を置くこと)は誤った態度であり、フィジカルディスタンス(物理的な距離を置くこと)こそが重要でした。 私たちは、これまで以上に社会的に繋がる必要があったのです。 成功しているビジネスは、ネットワークを捨てずに活性化させていました。

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2021/03/15

市原 淑行(よしゆき)さん
BNI
レインボー
(東京港中央)
カテゴリー:事業主向け積立の窓口

市原さんの実家は浅草で祖父の代から続く和装小物・レンタル着物の店。父親が跡を継ぎましたが、市原さんが大学生の時に他界、3代目として父親の兄弟が継いだことで市原さん自身は大学卒業後に別の仕事に就きます。リゾートクラブ会員権販売の仕事で全国を飛び回った後、保険業界に飛び込みますが、簡単に売上は上がりません。伸び悩んでいるときに出会ったのがBNIでした。
「一度ビジター参加して面白いと思ったし、すぐにでも入りたかったけれども、他の団体にも所属していたので、そちらを卒業してから入ろうかと」。

BNIは一つのチャプターに同じ専門分野(カテゴリー)で入会することはできません。40歳になって入会しようとしたチャプターには、既に自分と同じ専門分野で活動しているメンバーもいたので別のチャプターに入会することになります。時を同じくして実家の仕事も4代目として受け継ぎ、平日は保険の仕事、土日は実家の仕事と、二足のわらじでビジネスを行なっています。

先述した通り、BNIの一つのチャプターには一つの専門分野につき一名のメンバーが加入しています。つまり全員がそれぞれの専門分野ですから、プロ同士アイデアを出し合って新しいビジネス展開をすることもよくあります。BNIでは、競合することなく、お互いに積極的に顧客を紹介し合えるチャプター内のチームをパワーチームと呼びますが、市原さんはパワーチームでM&A案件を数多く手掛けてきました。市原さんもまた自身の知識と経験で一つの会社をM&Aで買収したそうです。

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2021/03/01

BNI 千葉京葉
高山英明さん

千葉県出身。明治大学卒業後家業の酒屋を継ぎ、飲食店を展開。BNI千葉セントラルリージョンのハーバーチャプターに入会し、8カ月間毎週ビジター招待をするなど多大な貢献を行なう。ディレクターとしてチャプターを立ち上げた後、現在は千葉京葉リージョンのエグゼクティブディレクターを目指して日々奔走している。

オンラインだから毎日12人とミーティング

船橋市、習志野市、市川市、浦安市を中心とした「BNI千葉京葉リージョン」を立ち上げるべく、現在奔走しているエグゼクティブディレクター候補・高山英明さん。BNI千葉セントラルリージョン、ハーバーチャプターに所属し、ディレクターとしてチャプターを立ち上げた後、エグゼクティブディレクターに向けてチャレンジを始めました。現在はスタートして数週間が過ぎ、2つのチャプターを同時に立ち上げる準備を行ない、毎日12~13人との面談を行なっています。「オンラインでなかったらこれほどの人と面談はできませんでしたし、距離も関係ないですから、とても活動しやすいと思います」。コロナ状況下においてBNIはオンラインでのビジネス活動にすぐさま取り組み、時代もまたオンラインでの活動が当たり前になってきています。毎日12人との面談が可能になっているのはその証左でもあります。

勢いで家業を継ぎ、実業家へと

実は高山さんは就職をしたことがありません。剣道で大学推薦を受け、ゆくゆくは実業団で日本一を目指す、という将来の道を漠然と描いていましたが、大学4年のときに父親が他界。実家の酒屋を閉める、という母親の言葉を聞き、「店を継ぐ」と伝えたことで人生がガラリと変わっていきます。

当時は安売り店やコンビニが台頭してきた時代、飛び込み営業で顧客を獲得してきましたが、取引先が増えれば増えるほど資金繰りも大変になります。ある日取引先のスナックに飲みに行ったとき、酒を売る自分の利益と店の利益の差に愕然とします。「このままでは立ちいかない。自分も飲食店を出す」と決意し、店の脇にカクテルバーを構えます。さらに「自分がいなくても店が回る仕組みを」と、ダイニングバーを開店するや大ヒット。さらに店舗も拡大し、最大15店舗スタッフ150人を擁する実業家として成功を収めていきます。

BNI貢献の裏にあった真実とは

これまでの人生において、人と人をつなぐことを得意としてきた高山さんにとって、BNIは理想的な組織でした。ある日経営するラーメン店のスタッフ宛にミーティングの招待状が届いたとき、内容を知って魅力的に感じ、「自分が参加する」と出席、そのままメンバーになったのでした。

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2021/02/24

40年間ビジネスの世界に身を置いてきた私は、Passion, People, Process. この3つのコンセプトが起業家の成功の秘訣であることを実感しています。

Passion

第一に、お客様に商品やサービスを提供することに情熱を持つこと。人生において、情熱なくして成し遂げられた素晴らしいことなど一つもありません。

1本のキャンドルを想像してください。あなた(とあなたのチーム)が、キャンドルの炎のように燃え上がり周りに良い影響を与えながら仕事をしているのか、蝋のようにエネルギーを消耗して仕事をしているのか?確認してみることです。

人が炎の中で仕事をするとき、彼らは燃えています。それは行動で示されますし、行っていることについて話す際にも示されます。蝋の中で働いていると、すべてのエネルギーが奪われ、それは行動や話し方にも表れています。

 

※「炎」と「蝋」

マイズナー博士は、経営者やビジネスパーソンは、自分の炎の中で仕事をしているか、あるいは蝋の中で仕事をしているかのどちらかだと述べます。炎の中にいるときには、わくわくして、エネルギーに、力に満ちあふれています。蝋の中にいるときは疲れ切ってしまっています。会社が成長するにつれて、蝋の中にはまってしまいがちです。

もし自分の会社に拡張性を持たせたければ、ビジネスの中で、自分が好きで集中できることを見いだす必要があります。一方で、社長であるあなたがやりたくないような蝋の中の仕事を、逆に自分の炎の中の仕事として楽しんでやってくれる人たちで固めることを勧めています。

 

少し前のことですが、ある人が会社の中で何かとても重要なことをするためのトレーニングを担当していて、それを10回くらいやったら飽きてきた、と話していました。

最初はそれが心配でした。なぜなら「トレーニング」というのはその人にとって、蝋の中の仕事に聞こえたからです。そのことを尋ねると、彼は「トレーニングは本当に楽しいが、同じことを何度もやっていると飽きてしまう気持ちを克服したい」と言いました。

私は彼に2つのことを話しました。

  1. 次に彼が研修を行うときは11回目かもしれないが、聴衆がそれを聞くのは初めてなのだと認識してください。 初めてこの内容を学んだ時の興奮を思い出してください。 その気持ちを持って、チームが、初めてこのコンテンツを学んだときの興奮を感じられるようにしてください。
  2. ストーリーテリングは、チームに新しい考えを理解してもらう上で重要な役割を果たします。 物語を「再演」するようにしましょう。 物語を再現することで、初めて体験した時や聞いた時と同じような興奮を味わうことができます。 そのような情熱こそが、あなたのビジネスに必要なのです。

 

私が再び彼に会ったのは、約1年後のことでした。 彼はもう何十回も研修を行っていました。 彼は、私のアドバイスでアプローチが完全に変わり、研修に参加した会社の人たちは、スーパーチャージされて出てくると話していました。彼が研修すると社員に電気が灯ることは、彼にとって大きな喜びとなっていました。

あなたが、提供するサービスに情熱を燃やすと、こうなるのです。

People

2つ目は「人」です。人は、世界の事実上すべての企業にとって最も貴重な資産です。人がビジネスのエンジンとなるのです。これは私にとって、少なくとも2つのことを示します。

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2021/02/15

坂口順人さん
BNI Thanks
沖縄)
カテゴリー:お家の困ったを解決できる電気工事専門

坂口さんは千葉県柏市にて電気工事のビジネスを手掛けていますが、沖縄に旅行に行った際、強烈な印象を受けて「何とかして住めないだろうか」と画策します。ビジネスも順調だったことから「支店を沖縄に出そう」と決めるのですが、周りには行く人がいなかったそうです。ということで、沖縄支店に社長自ら赴き、沖縄と関東の2拠点生活が始まりました。

ちょうど同じようなタイミングでBNIに誘われており、さすがに東京でのミーティング参加は難しく、ビジター参加にとどまっていました。「BNIの仕組みは素晴らしいと思いましたし、沖縄にできたらいいのに、とは思っていました」。

タイミングとは面白いもので、沖縄での生活が始まった頃にBNI沖縄リージョンの立ち上げがスタート。坂口さんはそのメンバーとして沖縄でのBNI活動をスタートさせていきます。BNI沖縄リージョンが立ち上がって1年が過ぎ、沖縄でのBNIの認知度も徐々に上がってきています。リージョン全体として共通認識を持っているのは、入会してもらうために招待するのではなく、知ってもらうために招待する、ということ。「一度参加いただいたらBNIが魅力的に思えるチャプターミーティング作りをしています。また参加したい、という思いをいかに作れるかを常に考えながらミーティングを重ねていますよ」。

2020年よりチャプターのミーティングは対面式からzoomで行なうこととなりましたが、坂口さんにとってプラス面のほうが大きいようです。「打ち合わせまではオンラインで、商談成立の時点で会うことになりますから効率的になっています。違うリージョンの方とも交流をしやすくなり、関東の方ともつながって、関東に戻ったときに打ち合わせをしてビジネスにつながったこともあります。オンラインでなければできないことだったと思いますね」。

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